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マインドセラピーわきやま

願いごとのかなえ方、教えます

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「違いのわかる」元・寺おとこ?

先日に続いて、お寺時代のお話しです。

今回は、ねがいごとのその後、についてです。

お寺でお札をいただいた方が、そのあと願いが叶ったかどうか、そこまではなかなか追跡できません。

ただ、相談をお受けした方には、その後の経過を時々お聞きすることができました。

その中で気がついたのは、

 

願いごとが叶いやすい人には特徴がある、ということです。

 

それは何か?

端的にいうと、『祈り方』でした。

 

といっても、おまいりの作法のことではありません。

 

えっ「まる投げ」でいいの?

 

それは、『祈る時の気持ち』です。

 

願いが叶いやすい人は、祈る時に共通する特徴がありました。

それは、

無邪気に」祈る、ということです。

 

「素直」よりも、やはり「無邪気」の方が、しっくりきます。

といっても、お寺の本堂でハイハイしたり、飛び跳ねる、ということではありませんよ。

 

「無邪気な気持ち」、説明すると、

言ってみれば、

「扉を開いて、幸運を心の中に招き入れる」という感じでしょうか。

そういう気持ちで祈ると「どうぞ、願いが実現するために私を使ってください。」という心境になるようです。

すると、予期せぬ変化を快く受け入れたり、自然と人のために行動したり、、傍から見ても、あきらかに行動が変わるのがわかります。

そして、自分と周りとの間に好循環が生まれていく、という展開になります。

 

あと、ねがいごとの形にこだわりすぎない、という点も共通していました。

細かい注文をつけず、良い意味での「まる投げ」という感じです。

これも「無邪気」の一面かもしれませんが。

 

じゃあ、そうでない人は?

お寺のご本尊に向かって、一生けんめいに祈るのは、だれも一緒です。
(そのためにお寺に行くのですから。)

中には、とてもうやうやしく、少し大げさに祈る方もいらっしゃいます。真剣さの表れなのでしょう。

ただ、礼拝の対象を敬う気持ちが高じて、あちら側(仏さま)とこちら側の間に線を引いてしまうと、お力が戴きにくくなるような気もします。

けっきょく、大きな存在からみれば、人間のやることは何でもたかが知れています。

それならば、ふところに飛び込んで、おもいっきり身をまかした方が、可愛がられそうです。

その点、願いごとを「無邪気」に祈れば、境界線を取り払えるのかもしれません。

 

神よ、仏よ、赦したまへ、、

お寺でもキリスト教会でも、よく「祈りは懺悔から始まる」と言われます。

この教えは古今東西を問いません。

「懺悔」というのは、浅はかさな自分を吐露した上で、すべてをゆだねる、という意味があります。

いちど全て捨てなければ、浅はかな行動パターンを繰り返すからでしょう。

 

日本人は、まわりを優先するあまり、自分をつい卑下しがちです。

その点、懺悔は得意かもしれません。

反面、自分をオープンにさらけ出して「お願い!」と叫ぶのは、少しニガテではないでしょうか。

でも、神さま、仏さまから見れば、「もっと無邪気に頼ってくればよいものを、、、」思われるかもしれませんね。

かみさま、ほとけさま、○○さま、

それは、人間にも同じことが言えます。

だれでも、信頼されるとうれしいものです。

自分を信じてくれる人は、大切にします。

無邪気な笑顔の赤ちゃんが、だれにでも好かれるのと一緒です。

逆に、近い仲の人に遠慮ばかりされると、せっかくの親しみが萎えてしまうでしょう。

 

注意書きを添付?

「私には、祈っている人の心が見えます」

、なんていうことはありません。念のため。

相談にのった方からお話を伺うたび、共通する特徴に気づいただけです。

 

ただ、この特徴が100%間違いない、という証拠はありません。

だから念のため、誤解なきように注意書きを入れておきましょう。
↓   ↓   ↓
※このブログは、元職員個人の主観によるものであり、効能・効果を保証するものではありません。

 

皆さまのご祈願がかないますよう、お祈りいたします。

合掌 チ~ン。

あっ!つい、昔のクセが、、、。

 

以上 「元・門前のおじさんが明かす、願いをかなえるコツ」をお送りしました。

 

おわり