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マインドセラピーわきやま

「さみしい」ときの処方せん

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かなしい別れ、

ふかい孤独、

を感じるとき、

 

だれでも、

さみしさから逃げられなくなります。

 

想いを振り切ろうとしても、

一時も心から離れない。

 

「さみしさから離れることができたら、どんなにいいか」

と、思うものです。

ならばその、

さみしさから離れてみませんか?

 

できるものなら、そうしたい?

 

大丈夫、

きっと方法はあるはずです。

 

一緒に考えてみましょう。

 

じゃあ、

まずは、その『さみしさ』と向き合うために、

 

「さみしさ」をここに出してください。

 

離れられないって

苦しんでいるぐらいなんですから、

オバケみたいな顔をしたのがいるはずでしょう?

 

えっ?

『さみしさ』の姿はみえない?

 

 

『さみしさオバケ』はここにいた

 

一休さんのとんち話みたいになってしまいました。

 

そうです、

『さみしさ』は目に見えず、

形がありません。

 

たとえ、

つらい思い出の場所に行ってみても、

そこには

淡々とした日常と時間があるだけです。

 

つらかった出来事そのものは、

その瞬間に終わっています。

 

『さみしさの』の本体は

外の世界を探しても、

どこにもないのです。

 

そんなことはあたりまえですね。

『さみしさ』は、

心の中にあるのですから。

 

 

ようするに、

『さみしさ』は、

心が作り出していたんですね。

 

ならば、

その「さみしさは」は

どうやって生まれるのでしょう?

 

願望と法則のせめぎあい

 

『さみしさ』は、

 

『変わらないでほしい』

という願望から生まれます。

 

人はもともと、

「変化」を好まない習性を持っています。

 

必要に迫られなければ、

「同じ状態でいたい」と思います。

 

効率よく生きるための本能みたいなものですね。

 

幸せな時が続いてほしい、

大切な人にいつまでもそばにいてほしい、

と思う気持ちはだれでもあります。

 

ただやっかいなことに、

この変化を好まない習性は、

現実世界のある重要な法則矛盾しているのです。

 

その法則とは、

「すべてのものは変化する」

 

ようするに、

「変化する世界にいながら、変化しないことを求める」

という矛盾が、

『さみしさ』の根源にあるのです。

 

波に形を変えない月はニセモノ

 

たとえば、

思い描いてみてください。

 

満月の夜、

池の水に、まん丸の月が映っています。

 

でも、それは、

本当の月ではありません。

 

池の水に映っている、

仮の姿です。

この池の水を、

私たちの意識に例えてみます。

 

私たちは世界を、

自分の五感を通してしか観れません。

 

月が池に映って、

はじめて「美しい」と認識します。

 

そこへ、

どこからともなく、

夜風がさーっと吹き抜ける。

 

すると、

池に映った満月は、

波打った水面に合わせて形を変えます。

 

水面が波打っても、

まんまるのまま、ということはあり得ません。

 

この水面を揺らす夜風は、

『この世界の変化』といったところでしょうか。

 

「ありのまま」を愛せば、、、。

 

だんだんわかってきました。

 

もし、

空に浮かぶ本物の月を観ることができたら、

形を変える池の月に、

心が揺れ動くことはありません。

 

そう、

さみしさを消す最上の方法は、

「ありのままを観ること」です。

 

それは、

いわゆる『悟り』というのかもしれません。

 

ただ、

今まで真に「悟った」人はどれだけいたのでしょうか?

シャカ?

イエスキリスト?

もちろん、

その悟った人々が残した言葉の中に、

救いを見いだす人もいるでしょう。

 

いずれにしろ、

自分自身がその境地に至るには、

かなりの難関がありそうです。

 

でも、

私たちでも、

さみしさから一歩でも

遠ざかることのできる方法はあります。

 

それは、

「池の月は、本物の月ではない」

そのことに、

気づくことです。

 

気づくだけで、

『さみしさ』を、

いく分か減らすことができるかもしれません。

 

そうすれば、

いつか、

池に映る月の姿も、

自然にいとおしめるようになるでしょう。

 

『言うは易く、行うは難し』ですが、

変化を受け入れることは、すべての救いにつながる。

 

これだけは不変の道なのです。