なにを隠そう、
ワタシは昔、
バンドマンでした。
おなじ書き出しで前回は、
「お寺の職員でした」
と書きましたが、
どちらもホントのことです。
(ワレながら同一人物とは思えない💦)
はるか昔の若い頃、
エレキベースを担いで
夜の街を渡り歩いていたのですが、
バンドマンをやめた後は、
ほとんど楽器も触ることなく、
音楽も聴かなくなっていました。
でも、
そんなワタシを音楽の世界へ
引き戻してくれた人がいます。
それは
藤井風さん。
3年前のある日、
真夜中に偶然テレビをつけたら、
見慣れぬ若者が映っていました。
その若者が
スタジアム無観客ライブを行うまでを
追ったドキュメンタリーを放映して
いたのです。
見ているうちに
その人のもつ存在感や音楽性に
引き込まれていき、
その晩、徹夜で
その「藤井風」という若者の
音楽ビデオを観続けて、
どっぷりと沼にハマって
しまったのです。
風さんを知って
わずか9時間しか経っていないのに、
YouTubeにアツいコメントを
投稿したほどです。
(それまでネット上でコメントするなんてことは、したこともなかった)
その頃、
ちょっと精神的に
追い詰められていた時でもあり、
偶然出会った藤井風さんの音楽に、
私は救われました。
そして、
風さんの音楽とともに過ごすことが
生活の一部になっていったのです。
どの曲を聴いても、
シンプルだけれども
何度もかみしめたくなる言葉が、
やわらかで倍音豊かな歌声に乗って、
すんなり心に入ってきます。
そして、歌詞は
ほとんどが日本語なのですが、
風さんには海外ファンが
とても多いのです。
海外でのライブ動画をみると、
岡山弁の歌詞を外国人が
そのままいっしょに歌っています。
歌詞がいいとか、
メロディがいいとかでは
説明がつかない、
風さんの放つ
独特なバイブレーションに
世界中の人々が共鳴して
いるんでしょうね。
私も風さんのすべての曲に、
「だれもがありのままで素晴らしい」
という隠れたメッセージを
感じています。
CS60で「満ちてゆく」
中でも「風推し」のワタシが今、
いちばん聴いている曲は、
『満ちてゆく』。
もう、
何百回聴いて、
何百回くちずさんだことでしょう。
朝、目が覚めてから
夜寝るまで、
頭の中で鳴りつづている
ような気がします。
この曲を聴いていると、
ざわついた心が静まり、
やさしい気持ちになれるんです。
特にサビのところの、
「手を放す、軽くなる、満ちてゆく」。
なにかを
掴み取るのではなく、
逆に手放すことで
満たされてゆく、という
歌詞にはハッとさせられます。
「私は満たされていない」
といつも思っている人や、
満たされているようで
じつは虚しさを感じている人が
聴くと、
心に深く響くものがあるはずです。
と、ここまで書きながら、
ふと、気がつきました。
それは、
『満ちてゆく』の世界観って、
CS60と似ているかも…。
ということ。
(あやうく風ファンのカミングアウト
だけでブログが終わるところでした💦)
何が似ているかというと、
CS60には、
カラダに足りていないものを
補ったり、付け足すという考えは
ありません。
CS60は
細胞にたまったゴミや電気など、
カラダに要らないものを
ひたすら取りのぞくデバイス
だからです。
その感覚は、まさに
「手を放し、軽くなり、そして満ちていく」。
まるで『満ちてゆく』の歌詞
そのものではありませんか!
そんな共通点があるからこそ
大切な存在なんだろう、
と納得したワタシでした。
ぜひ、あなたも
CS60の満ちてゆく感覚を、
心とカラダで感じて
いただきたいものです。
もちろん施術のBGMは
『満ちてゆく』で…。