「ホンネの自分」と「外面の自分」を
使い分ける…。
それは
人とかかわるうえで
必要なことかもしれません。
もしホンネと外面(そとづら)が
いつでも一致していたら、
別の意味で生きづらいですしね。
でも、
その使い分けがうまくできず、
感情表現がいびつになって
しまう人もいます。
たとえば、
かなしいのに笑ってしまう、
怒っているのにニコニコしかできない、
という人。
セラピーセッションでも、
過去のつらかったことを
笑いながら話す人がいらっしゃいます。
こちらからそのことを伝えると、
気づいている人は
「そうしないと自分が崩れてしまうから」
という言葉が返ってきます。
気づいていない人は、
「えっ、そうですか?」と
意外そうに反応します。
気づかない人は、
つらさを隠すための仮面が
いつのまにか顔に食い込んで
しまっているのかもしれません。
どちらにしろ、
つらくても笑っていることが
過去の教訓から身につけた
「うまく生きるための手段」
だったのでしょう。
ただ、
その「うまく生きるための手段」が、
時に自分を苦しめることもあります。
それは
「かなしくても笑ってしまう人」
だけではありません。
本心とオモテ面の使い分けを
うまくコントロールできない人
すべてに当てはまります。
ある時は
ホンネをうまく表現できない
自分を責めたり、
またある時は
抑えていた感情が
不意に一気に噴き出てしまって、
自己嫌悪におちいる、
など、
どちらに転んでも
自分を否定し続けてしまいます。
そうなると
ホンネと外面のギャップが
ますます広がり、
生きづらさにますます拍車が
かかってしまうのです。
自分らしく生きる、というのは、
感じたことを自然に表現できる
自分でいる、ということです。
ただ、
長い時間をかけて身につけた
「うまく生きるための手段」を手放すのは
とても勇気が要ります。
それは、溺れながら
必死にしがみついた板きれを
手放すような感覚かもしれません。
ただ、だからといって
あきらめることはありません。
なぜなら
それは、
練習すれば変えていくことが
できるからです。
素直に自分を表現できない人は
その経験値が足りていないだけ。
シンプルに
練習不足なだけなのです。
でも、
いきなり現実生活の中で
だれの助けも借りずに
「本当の自分」をさらけ出すのは、
あまりにもハードルが高いと思います。
そんな時にこそ、
セラピストのチカラを
借りてほしいのです。
セラピストと過ごす
安全で安心できる時間の中で、
「ホンネの自分」をおもいきり
外の空気に触れさせてあげてください。
そうすれば、
ずっと閉じ込められていた
「ホンネの自分」は息を吹き返します。
食い込んで取れなかった
外面(そとづら)の仮面を、
その時だけでも外すことが
できます。
その体験を重ねることで、
ありのままの感情を
自然に表現できる自分に
なっていけるはずです。
もし今、
「そんな風になれたらいいな」と
あなたが感じたならば、
この練習は
とても役立つかもしれません。
かなしい時はかなしんで、
うれしい時はよろこぶ。
そんな当たり前のことが
自然にできる自分でいたいですね。
そのお手伝い、
「心の専属トレーナー」が
させていただきますよ。