『1 +1 』はいくつ?
と聞かれると、
「“2”に決まってるよ」
とあなたは言うかもしれません。
たしかに”2”は正解です。
でも、答えは
それだけでしょうか?
ほかにあるはずない?
それよりそもそも、
生きづらさや、
こころの話と
なんの関係があるの?
と言われるかもしれませんね。
私は
関係は大あり、
と思っています!
なぜかというと、
この足し算の答えが、
私たちの『思考』に大きく影響している、
と感じるからです。
もっといえば、
洗脳されているかもしれません!
とりあえず
話をもどして、
1+1の答えは
”2”のほかにありますか?
ない?
いえ、
あるんです!
それは
1 +1 =1
これもりっぱな正解です。
例をあげましょう。
たとえば、
カレーライスが一皿、
とんかつが一皿
あります。
そしてとんかつを
おもむろに
カレーライスの上にのせてみる。
すると、
カツカレーのできあがりです!
(おいしそう)
この時
カツカレーは
何皿ですか?
そう、1皿!
まさに
1+1=1です。
例えをもう一つ、
ヒトは
精子と卵子がひとつになり、
受精卵として誕生します。
そこから約60兆個の細胞にまで増えていきます。
その変化を式にあてはめると、
1+1=1
1+1=60兆
どちらも立派な正解ですね。
もう一つだけ、
こんどは引き算。
例えば、
愛し合う恋人同士がいて、
ある日、
彼の気持ちが離れて
彼女の元から去り、
彼女は残されて1人になってしまった。
この状況は、
2 − 1 = 1
ですね。
しかし、
離れていった彼は
どこか別の所に行っただけで、
消えてなくなったわけではありません。
もしかすると、
どこかで他の人とカップルになっているかもしれません。
ようするに、
離ればなれになっただけで、
2人とも存在しているんです。
ということは
2 − 1=1
だけが正解でなく、
”2”も正解です。
常識?的な答えの”1”は、
彼を無理やりこの世界から消し去っている、
ともいえます。
ようするに、
1+1=2
2一1=1
という答えは、
数ある中の一つに過ぎないのです。
「くだらない屁理屈だ」
と思うかもしれません。
でも、
そう思うのは、
「足し算、引き算の決まりはこれ!」
と、
どっぷり信じ切っているから
ではないでしょうか?
私たちの思考パターンには
常識的な計算の答えが
染みついていないでしょうか?
もともと、
+、-などの記号が
使われるようになったのは、
商いで数を数えたり、
量を測るのをスムーズにするために
意味を統一したとか。
いわば、
たんなる商売の「お約束」です。
日本人は明治時代になるまで、
見たこともなかったそうです。
そんな成り立ちも知らずに、
私たちは
この「お約束」を
子供のころから学校で習います。
そして、
+や-、=の
使い方が
刷り込まれます。
それだけならばいいのですが、
いつのまにか、
ものを考える時の
「思考パターン」にも
この限定された使い方をあてはめるようになってきました。
たとえば、
・親がダメだからこんな性格になった、
・つらい過去があるから立ち直れない、
・ワタシには実力がないからどうせムリ、
・いまさら努力しても幸せになれない、
まるで
常識的な足し算、引き算に囚われて、
自分で自分の枠を
狭めているような気がしませんか?
しかし、
人の意識は本来、
1+1を100にしたり、
2 から 1が引かれても、
そこから1000にも1万にしたり、
自由にイメージすることができるのです。
1+1の足し算でさえ、
見方が変われば答えがいくつでも見つかるのに、
とても、
もったいない気がしませんか?
あのエジソンやアインシュタインが、
子どもの頃、出来が悪いと言われていたのは、
世間の常識に「本当にそうかな?」
でも、その「?」から偉大な発明や発見が生まれました。
だから
あなたが、
生きづらさを感じていたり、
悩んでいるとしたら、
まず、
今まであたりまえに使っていた
心の計算式を
疑ってみてほしいのです。
そして、
1+1が100に、
1-1も1000に変わるような、
自分だけの
心の数式を見つけてみてください。
パッと目の前が開けるかもしれませんよ。
もちろん、
ご希望ならば
「心の専属トレーナー」