おまたせしました!
それでは、クイズの回答です。
答
和尚はだれに対してもたった一言、
そういうおまえをわしゃ食った。
と言ったのである。
うーん。
あくまで『とんちクイズ』、
でも、深い。
いちばん大きなものを言って勝つならば、先に言う方がぜったい有利、と、たいていは考える。
そこで勇んで突撃すると、和尚さまの思うつぼ。
みごと、術中にはまってしまう。
和尚さまを負かすことばかり考えて、かえって「勝ちたい自分」が無防備な姿をさらすことに。
「そういうおまえをわしゃ食った」と言われた瞬間、自分の視野の狭さにハッと気づかされる。
気づいても後のまつり、和尚さまにパクっと食べられるだけ。
『あたま隠して尻隠さず』とは、まさにこのことですね。
和尚さまをギャフンと言わすには?
そこで、答えを知ったあと、
和尚さまをギャフンと言わせられる!と、思いついたのが、この案↓。
和尚さまに、こう言う。
「和尚さま、この謎かけには、さぞ、ありがたいお諭しが含まれているのでしょう。しかし、私のような浅知恵では、それが理解できません。
はじめる前から降参しそうな気分です。
つきましては、和尚さまが召し上がるものをお聞きして、それからそれをお手本として考えてみたいと思います。
まずは、和尚さまの召し上がるものをおっしゃってくださいませ。
さあ、私を導くと思って!」
すると、和尚さまは、
「カッカッカ」と高笑いをして、ひざをポンッとたたく、、、。
というのは、どうでしょう?
だめ?
「この謎かけを作った和尚さまが、自分の掘った落とし穴に落ちるはずがない。」
言われてみれば、その通り。
あなたはかしこい。
なんとか、引き分けぐらいにはみてもらえませんか?
だめ?
「和尚さまの回答を知ってから考えたのだから、引き分けとは到底言えない。」
ごもっとも。
セラピスト考、、降参しても。
さて、このクイズの核心は何だったのか?
多胡先生にもう聞くことはできないので、あれこれ妄想するしかありません。
それらしく言えば、
このクイズは、『自我』の捉え方について、問いを投げかけている、、、とか?
それこそ正解などありません。
ところで、『自我』という言葉は一般的に、
「もっと欲しい」「自分がいちばん」など、ようするに「他人より自分がだいじ」という意味で使われます。
「自我をなくせ」「欲をなくせ」という教えは、いろんな人生訓や宗教で説かれています。
だから、理屈の上では、だれでも『自我』の扱い方をわかっているはず。
かといって、わかっちゃいるけどできない自分に、そんなご立派な考え方はムリ、とあきらめてしまう。
でも、「自分がだいじ」なのは悪いこと?自分を大切にするのはいけないこと?
考えているうちにこんがらがってきました。
もっと、だれでも、「自我」とうまくつきあえる方法はないか?と思ってしまいますね。
大きく大きく、と欲をかいた結果、自我がポコっと出っぱって、それを和尚さまがパクっ。
その出っぱりを、和尚さまは戒めている、とも取れます。
それならば、
「他人より自分がだいじ」という気持ちを「他人も自分もだいじ」という一体感に代えると、自我の出っぱりが引っ込むかも。
もしかすると、
「虚勢を張るより、いっしょによろこびを味わう方が、強いんだよ」と、和尚さまは、やさしく伝えようとしていたのかもしれません。
と、負け惜しみついでに、勝手に解釈してみました。
いつの日か、和尚さまを、多胡先生を唸らせる妙案をひらめきたいものだと考え続ける、今日、この頃です。
あなたも、名回答が思い浮かんだら、教えてください。
おわり