(23番薬王寺)
昨夜はかなりの雨が降った。朝もまだ雲が厚く残っているが、午後は晴れるようだ。
7時15分出発
昨日までの山道のルートとは打ってかわり、今日からは海沿いの道を行くことになる。
かわいい小学生たちが挨拶をしてくれる。この辺りの小学校は皆、制服姿だ。
昨日の雨で、苗を植えたばかりの田んぼに水が満ちている。
所々で蛙がカスタネットを打つように鳴いている中を歩く。
雨の中を歩くのはしんどいものだが、雨が上がった後の景色はとても美しい。
雨と言うのは、植物や生き物を生き生きとさせてくれるものだなぁ、と感じる。
どこまでも続く、里山と田んぼの風景。昨夜の雨が残した湿気を含んだ風が、優しく通り過ぎていく。
とてものどかだ。
民家の引き戸から、犬がひょっこりと顔のぞかせた。散歩に連れて行って来れるの今か今かと待っているようだ。
そういえば遍路旅出発の前日、犬が独りで散歩している、と書いたが、あれは野良犬だったかもしれない。
3番札所の納経所で「野良犬にエサをあげないでください」と書いてあった。他にも犬が独りで歩いてるのを見かけたが、よくみると野良犬のようだった。
今日も、道の真ん中に巨大なミミズが出現。これは何かを暗示している? などとはじめは思っていたが、雨が降ればめずらしくない光景なのだと分かってきた。
少し山に入ると、いたる所から水が溢れ出ている。今まで滝行をした2つの滝も、今日行けば、さぞ水が増えて壮観な眺めだろう。
途中道を間違えて行き止まりの方へ行く道歩いてしまった。道沿いの家の人から、こっちではなくて前の角を右に曲がるんですよ、と言われ間違いに気がついた。
「ありがとうございます」とお礼を言ったが、その時ふと、本当にありがとう、という気持ちを込めて言っているだろうか?と気づいた。
いつもの挨拶で、ありがとうございます、と言うのはたやすいが、本当にありがたいと気持ちを込めて言っているかどうか、「ありがとう」の言い方・考え方を改めて考えた。
初めてトンネルをの中を通る。入り口に押しボタンがあった。押すと、歩行者に注意の文字が電光掲示板に出るらしい。
ようやく晴れ間が見えてきた。
小さな峠を一つ越えて、しばらく行くと、カーブの向こうに、海が見えてきた。
今まで、ずっと山の中を歩いてきたので、海を見ると心が一挙に解放されるようだ。
遍路道には、旅する者の心を集中(シャマタ)から拡散(ビバシャナ)に展開させる演出効果が組み込まれているようだ。
はじめて海が見えた場所で、デンマークから来た若い男性とすれ違う。
成田空港に降り立ってから、夜行高速バスで徳島まで来たそう。遍路小屋に野宿をしてしながら歩いているそうだ。
ものすごいスピードで先へ歩いていった。
その後、昨日同宿のフロリダの2人のアメリカ人も追いついてきた。とても速いスピードで先へ行った。
海岸縁の津波避難所も兼ねている遍路小屋で休憩をとる。
途中の道で、お遍路さんにちなんだ俳句の何かの入選作を紹介していた。千葉県の人の作品もある。
フロリダの二人とまた、抜きつ抜かれつになり、そのうち休憩をいっしょにとる。
その後、カナダから来た若い女性も、我々を追い抜いていった。
今日、道で会うのは、外国人ばかり。
一体、日本人お遍路さんはどこへ行ってしまったのだ?
日本に住んでいたり、旅行に来ている外国人には、エネルギッシュな人が多い。ファイトがあるし、体力もある。
ふと、なぜあまり目立たない日本人が世界の中で評価されるのか、と考えた。
一人一人を比べると、日本人はあまり主張せずにおとなしい。外国人一般に比べて、個性を抑えているように見える。
長所はバランス感覚、自分の立ち位置を考えて、全体のために自分が一番役に立てることに力を全力で投入できる能力、そんなところだろうか。
フロリダの2人について、
マイケルさんは太極拳を37年修行していて、鍼灸のドクターとして開業している。空手の段位も持っているツワモノ。
フィッシャーさんはマイケルさんに鍼灸を教えてもらっている生徒兼長年の友人。
マイケルさんは、チベットのツモ行者(特別な山岳修行によって超人的な力を発揮する人)から、マントラ(真言)や修行の方法を学んだことがあるという。
お遍路で歩いている時も、下腹に火を観想して、歩きながら、マントラを唱えているそうだ。
自分も真言を唱えながら歩いているというと、意気投合した。
フィッシャーさんは足にかなりダメージが来ているらしく、平地は大丈夫だが、アップダウンはかなりしんどい様子。
今年77歳になる。
マイケルさんは、パワフルでずんずん先にいってしまうので、取り残されてしまうため、薬王寺まで、フィッシャーさんと一緒に歩くことにする。
励ましがてら、「へっちゃらさ」という言葉の教えあいをした。アメリカでは「a piece of cake」というらしい。日本語では「あさめしまえ」だと教えた。英訳すると、「before breakfast」だ、と言った。
途中、きれいな海岸線を眺めつつ、歩く。
途中に3回ほど休憩を入れて、それでも午後3時ごろには、宿に着いた。
宿と薬王寺のある日和佐の町は昔、船着場として栄えた場所で、今も風情ある良い雰囲気が残っている。
今日の宿はものすごく古い旅館。
とても古くて、かえって貴重な建物、という感じがする。
宿泊は我々3人だけのよう。そもそも部屋が2つしかない。
先に荷物だけを置かせてもらい、フィッシャーさんと一緒に薬王寺に向かう。
●二十三番札所 薬王寺に到着
阿波の国最後の霊場となるお寺。山の中腹から日和佐の町と港を見下ろす場所に建っている。
フィッシャーさんはお経を読めないと言うので、横に並んで読経を聞いてもらいながら、一緒にお参りをした。
参拝が終わって、境内を見ると、待ちくたびれたマイケルさんが椅子に座っていた。
これで全員がそろった。
宿での夕食は3人だけで、深い話をした。
しかも英語で。
私の英語力は前日書いたとおりである。
ともに汗を流すと、気持ちが分かり合えるようになって、言葉が足らなくても、以心伝心ができるようだ。
瞑想、精神世界の話題、聖地の持つバイブレーションについて、日本人と話す時よりも、深い話をした。
また、これからの自分がやりたいこと、心理カウンセリングを勉強し、それに今までの経験で培った独自のやり方をミックスさせながら、職業として自立していきたい、ということを話した。
それについて2人は、
仕事というのは人の役に立つことではじめて成り立つこと、自立して生きていく上での考え方、
君の年齢50代はまだまだ可能性を秘めていて、まだ新しいことを始められる、など、わかりやすく話してくれた。
70代のお二人から、ありがたい教訓を数々教えられた。
とても不思議な、思い出に残る意義深い一夜だった。