雨は止んだが、日の出の時刻になっても雲は厚い。
木々の向こう側はすぐ海だ。
7時30分出発。
今にも降り出しそうだが、まだ降っていない。
今日は2日半ぶりの札所参拝になる。足摺岬突端に位置する、金剛福寺だ。
この近辺は沖合でクジラを見れるらしい。
伊布利漁港を通る。港はひっそりとしていた。
防波堤の間から、漁船が戻ってきた。
大きな定置網が干してある。
昨晩泊まった宿の女将さんによると、定置網漁は最近まで水揚げが減っていて、2つあった網にそれぞれ担当していた人を人員削減して、5人ぐらい漁師さんが辞めたそうだ。
しかしこの連休中などは、ブリが大漁となり、港の勢いが盛り返してきているらしい。
沢山獲れた時に魚をどう売りさばくのか、と女将さんに聞いたら、豊漁の情報を聞きつけて近隣から専門業者や、料理人が、我先にと買い付けに作るそうだ。
水揚げの情報をいち早く掴んで良い魚を仕入れるのが、魚を扱う職業に人々にとっては重要らしい。
船が停泊しているの横を通ると、今帰ってきた船が魚を降ろしていた。
漁港から浜沿いの道に入る。波打ち際の浜辺がそのまま遍路道になっている。
波の押し寄せる浜からあがって木々の中に入るとすぐに、清らかな沢の流れが現れた。
まるでおとぎ話の世界のようだ。
おとぎ話の世界でも、上り坂では息が切れる。
雨上がりのカエルの大合唱の中、沢を抜けて旧道に入る。
車道と旧道の遍路道の分岐が何箇所かあった。
遍路道を選んだら、通る人がほとんどいないのか道が荒れていて、しかも雨上がりのため、よく滑る。
木々の間を抜けると、雨が降り出した。早速ポンチョをつける。これで3日連続のポンチョ着用だ。
しとしと雨なので、これくらいならば気にせず歩ける。
土佐湾沿いの海岸は砂浜の所もあったが、おもにゴツゴツした岩場が続く。
なので、昔の遍路道はこのような起伏の激しい険しい悪路がずっと続いていたのだろう。
さぞ歩くのが困難だったに違いない。
それに対して今は、海岸沿いの車道が遍路道になっている所が大半だ。
足摺岬まであと10キロ位だろうか。海沿いの車道を歩く。
茨城から来ているソーラーパネルの彼に再会する。
昨日は金剛福寺の近くの民宿に泊まったそう。久しぶりに布団で寝たそうだ。
昨日の金剛福寺は3人ぐらいしか参拝者がいなく、誰にも人に会わなかったので、心が折れてしまいそうだった、とのこと。
その言葉を意外に思った。
というのは、自分の遍路旅のイメージは一人で黙々と歩くもの、というのがあったので、かえってお遍路さんが多いとちょっと辟易とするぐらいなのだが、、、人によって考え方が違うものだと思った。
知っている顔に会えて、折れかけた気持ちが復活した、と言ってくれた。
力になれて何よりだ。
茨城の人は皆、人なつっこくって親しみやすい印象がある。
車道にもカニが。
海のすぐ近くだと、カニの体も大きくなるのだろうか。
津呂の簡易郵便局で、要らない荷物を整理して、送り返すことにした。
送る荷物の重さを測ってもらうと2.5キロだった。
かなり無駄なものを持ってきていたわけだ。
リュックが一挙に軽くなる。
ちなみに昨日お遍路に出てから初めて、体重を測ってみた。
なんと6キロも減っている。
四国に来る前は、身長から割り出す平均的な体重ぐらいだったので、特に太り気味でもなかったのだが。
食事もたくさん食べているが、それ以上に消費するカロリーが大きいのだろう。
下腹が出ていたのが、引っ込んだ感じはある。
ということは、体重と荷物を合わせて8.5キロの減量に成功したことになる。
郵便局で、お手洗いをお借りし、おいしいホットレモネードのお接待を受ける。
岬まであと少しだが、まだ眺望は開けない。
道路が海岸縁でなく、山の中を中心に走っているのだ。
岬に着く直前になって、雨が激しくなってきた。
そして、11時40分ごろ、
●三十八番札所 金剛福寺に到着。
境内はきれいに整えられて、様々な伽藍が建っている。
昔のお遍路さんは、苦難の道のりを乗り越えてこのお寺にたどり着いて、境内に入った時、極楽浄土にいるような気持ちになれただろう。
足摺岬の展望台にも行ってみた。
まさに雄大な景色。晴れていたら、海の色もいっそう鮮やかだっただろう。
これで高知県の海岸線の形を、羽を広げた鳥とすると、右の翼、左の翼、両方を歩きとおしたことになる。
お寺はまだ三十八番だが、歩く距離はちょうど折り返し地点、といったところだ。
参拝を終えて、近くの食堂で食事を済ませた。
土産物店の鏡で一枚。
自撮り棒はとっくの昔に壊れてしまい、今日、他の荷物とともに送り返してしまった。
岬を過ぎてふたたび歩き始めた時、前方の店の軒下に佇む黒い人影が目に入ってきた。
さらによく見ると外国人の顔が見えた。フロリダのマイケルさんだ。
じっとレインコートを着たままじっと動かないで座っていた。
雨が小降りになるのを待っていると言う。どことなく疲れてるように見えた。
いつかまた会おうと、感動的に別れたわりには、3日連続で会っている。
これからは歩くペースを少しを落とすと言っていた。
その後、一人で歩き始める。雨は激しいまま、風もとても強くなっている。
昨日の午後と同じような天候になってきた。
昨日はトンネルを嫌がって峠道に入ったが、今日はトンネルが恋しい。
雨に濡れずに歩けるからだ。
1.1キロの松尾トンネルを歩く。トンネルから出たら、また雨だ。
雨、風と格闘しながら歩いていると、『中浜(ジョン)万次郎の故郷』という表示が出てきた。
ジョン万次郎は、子供の頃から気になっていた人物だ。
あまり詳しい事は知らないが、もともとは役人などの偉い人でなく、冒険をして、先駆けて外国を見聞した人だと聞いていた。
最近はよく名前を聞くようになったが、小学校の頃、先生にジョン万次郎の名前を言ったら「その人、だれ?」と言われたことを思い出す。
防波堤の壁に簡単なジョン万次郎の歴史が書いてあった。
14歳で初めて漁に出た船が遭難し、九死に一生を得て伊豆七島の南、「鳥島」という無人島に漂着する。
そこでサバイバル生活を送った後、アメリカの船に救助された。
そのままアメリカへ渡り、勉強をして外国の教養を身に着けて、一角の人物になったそうだ。
ジョン万次郎をNHK大河ドラマ化しよう、と言う看板を其処ここで見かける。
復元された生家の標識があったので、雨が降りしきっていたが行ってみた。
とても小さな家だった。当時の生活が偲ばれた。
思わぬところで時間をとってしまったが、昔から気になっていたジョン万次郎のことが知れてよかった。
今日の宿がある土佐清水港へ向かう。
道路は海抜40~50メートル位のところを通っており、時折見える断崖絶壁から、とてもきれいな海が見える。
岬の東側に比べてもダイナミックな景色だ。
沖合の海にも、見渡すかぎり何もない。
ジョン万次郎が海の彼方にあこがれたのも、こういう景色を幼い時から見ていたからかもしれない。
歩く方角によって、ものすごい風が吹き付けてくる。
思うようにスマホを取り出して写真が撮れないのが残念。
菅笠を一度飛ばされたかけたが、必死につかんで飛ばさずに済んだ。一度手放してしまうと崖下の海へ持っていかれてしまう。
荷物が軽くなったせいか、悪天候ではあるが、なんとなく楽しい気分で歩くことができた。
海面に近い所に下りてきた。
そろそろ土佐清水港だ。
港に近づいてきた頃、前方から香ばしい香りが漂ってきた。
中が真っ暗な工場からだが、どうやら鰹節の類いを作っているようだ。
外には燃料になる材木が積んであった。工場の高いところからは黒い煙が出ている。
カツオか他の魚をスモークしているのだろう。これが香ばしい香りの正体だった。
知り合いに小夏みかんを送りたかったので、宿に着いて発送できる店を教えてもらい、そのまま着替えずに行こうと思っていたが、宿のお父さんが車で送ってくれるという。
ご厚意に甘えて、近くのスーパー連れて行ってもらった。
ちょうどいいサイズの箱で発送用の手ごろなものがあり、早速手続きをする。
宿は街道から少し登ったところにある新しい感じの良い宿だ。
今日はもう1人お遍路さんが泊まっていた。
昨年、通しで廻り、今回は逆打ちで廻っているという。
緑のきれいな山並みが見える部屋で泊る。