(39番延光寺⇒40番観自在寺)
山の中なので日の出の時間から50分ほど過ぎて、やっと太陽が昇ってきた。
太陽の光が当たると、近くの山から水分が蒸発して、モヤが立ち込めた。
朝の気温は、9度まで下がっていた。
7時出発。
今日は三十九番延光寺と、出来れば四十番観自在寺まで参拝したい。
今日、土佐の国を終え、伊予の国に入ることになる。
歩き始めても、気温はまだ12度だった。
同泊の先達はもう出発されていた。
先達の杖は、仙人の持つような、自然木の年季の入った物だった。菅笠もいい色に焼けていた。
白いあご髭と日焼けした顔に風格が漂っていた。周りの人からは「お四国病だ」と言われているが、遍路を廻り続けているという。
少し歩くと、ダムの上を横切った。
山間部にもようやく太陽が当たり始めて、少しずつ暖かくなってきた。
途中、遍路道の道しるべが無く迷ったが、昔ながらの石仏が道を教えてくれた。
通りすがりの人が、自転車を降りて「もうすぐですよ」と言ってくれた。
●三十九番札所 延光寺に到着。
土佐の国最後のお寺となる。こじんまりとしているが、ひっそりと落ち着く感じのお寺だ。
ご本尊は薬師如来。
参拝している人も、静かに礼儀正しくお参りしていた。
寺建立の際、お大師様自ら掘り当てた井戸。「眼洗い井戸」。
これで土佐の国の札所を全て参拝した。
伊予の国 愛媛県の県境は延光寺から12キロほどの松尾峠にある。
さっそく松尾峠へ向かう。
宿毛市街を通り抜け、山沿いの遍路道に入っていく。
途中、買い出しにコンビニに寄ったら、年配の女性のお遍路さんがリュックサックを降ろして休んでいた。
今日は、コンビニかお寺以外では、ほとんどお遍路さんと会わない。
ここから松尾峠を経て、四十番 観自在寺まで25キロの表示があった。
朝とは違い、日が高くなると暑くなりそうだが、木々が日差しから守ってくれている。
松尾峠への道は、かなり草が生い茂っている。この道を通る遍路さんが少ない証拠だ。
しかし、この峠道は、山道あり、里の風景あり、上りあり、下りありのバラエティーに富んだ良い道だ。
歩いていて飽きない。
何かの卵だろうか?カマキリ?カエル?
(編注:「ガマの穂」というんだよ、と読者の方から教えていただきました)
昔、重要な街道だったため、道が雨で崩れないように、所々に石を敷き詰めたそうだ。
その跡は今でも残っている。
ぜいぜい言いながら松尾峠に到着。
まさに絶景の眺めが広がっていた。
眼下に見える宿毛の港。
土佐と伊予の境を示す江戸時代の標識が残っている。
峠の下り道は、比較的緩やかで歩きやすい。
少し降りたところで眼下の山並みを眺めながら昼食をとる。
リュックの上を、あまりお会いしたくない虫が走り回っているが、多少の突然の出会いは驚かなくなった。
いや、驚かなくなりつつある。
昼時なので、ふと食事について考えてみた。
遍路旅で痛感するのは、一番信頼できる食べ物は、おにぎりと水だ、ということ。
この2つが体が喜ぶベストコンビのような気がする。
肉より、魚より、パンより、海苔巻きより、、、お茶より、ジュースより、おにぎりと水だ。
これさえあればどこへでも行っても、生きていける。
体を1日中動かしていると、体がその食べ物を信頼しているかしていないかがわかるような気がする。
(もっとも遍路に出る前に、これが昼ご飯です、と、おにぎりと水を差し出されたら、文句を言っていただろうが)
米の飯が体にすんなりと入ってくるのは日本人だからだろうか?
しかし、フロリダ2人組も、いつもライスボール(おにぎり)を買って、持ち歩いていた。
これさえあれば大丈夫だ。といつも言っていた。
昼食を終えて、さぁ出発だ。
これから伊予の国が待っている。
個人的には、四国4県の中で、今まで足を踏み入れた回数が一番少ないのが愛媛県だ。
愛媛の人々はどんな人たちなのだろう。
また、行く先に飛行機雲。
節目の時や、思い入れのある場所に向かう時に、必ず飛行機雲が先導してくれているような気がする。
単なる思い込みだろうか?
四十番 観自在寺まではここから15キロ。
2つのルートがあるが、松尾峠で時間をとったので、最短ルートを選ぶ。
大きな国道なので、歩いていて面白くもなんともない。
こういう所はなるべく先を急ぐ。
午後4時20分頃、
●四十番札所 観自在寺に到着。
伊予の国はじめてのお寺。
夕方の参拝は人も少なく、落ち着いてお参りできる。
ご本尊は薬師如来。
土佐最後のお寺のご本尊も薬師如来、伊予最初のお寺のご本尊も薬師如来。
八十八ヶ所中、薬師如来を本尊とするお寺は多いが、薬師如来様には、特別なお働きがあるのだろう。
和歌山の高野山も、ご本尊は薬師如来と聞く。
大師堂には巨大な独鈷杵と三鈷杵が置いてあった。
観自在寺建立の元となった、奥の院跡の篠山大権現の遙拝所。
今日は観自在寺境内にある宿坊に泊まる。
ここは素泊まりだけなので、夕食は外へ。
開いている店が少なく、居酒屋に入ったら食事だけの人は料理が出来るのに30分かかると言われ、しかたなくファミリーレストラン風の食事処へ行く。
「スマ」という、脂の乗ったカツオの刺身定食を注文して、1分で出てきた。
店によってえらい違いだ。
このスマという魚は、まるでマグロのトロのようだ。それでいてカツオの風味がする。
近くの深浦漁港は、四国中でカツオの水揚げナンバーワンらしい。
港から漁場がすぐ近くにあるため、冷凍せずに日帰りで新鮮なカツオを提供できるそうだ。
どおりでうまいはずだ。しかし遍路宿の夕食に慣れている身には、量が少なく感じた。
レストランを出るとちょうど山の向こうに夕日が沈むところだった。
朝は時間がなく、あまり日の出を眺められなかったが、たっぷりと眺めることができた。
●土佐の国 修行門を振り返って
土佐の人たちは、一見ぶっきらぼうでも、優しい気ののいい人ばかりだった。
今日で、土佐の国、修行門が終わった。
「修行門」とはどういう意味だったのだろう。
その意味を深く実感していたのは、むしろ、舗装路ができる以前の、昔のお遍路の方々だったのではないか。
一つ一つの札所の間隔が大きく、海沿いの、ゴツゴツした岩場や急な斜面をはるばる歩くのは、並大抵の努力ではなかっただろう。
室戸岬方面では佛海上人、 足摺岬方面では真念法師など、遍路の便宜を図り、尽力された僧侶の活躍が記録されている。土佐の国の遍路が、いかに過酷な旅だったかがわかる。
今は海沿いを走る舗装路ができて比較的スムーズに歩くことができる。
時々遍路ルートになっている昔ながらのお遍路道をたどると、その急なアップダウンと、歩きづらさに辟易する。
まさに困難な、修行の場所だと言えるだろう。
それに比べれば今の遍路行者は快適に旅をしているのかもしれない。
もう一つ、自分自身を考えてみると、土佐の国の半ばから、ようやく足の調子が落ち着いてきて、歩き方が身に付いてきた。
また、土佐国の後半は、ひたすら一人で歩き続ける日もあった。
そういう時、旅の始めは隠れていた心の習気が、再び頭をもたげてくるような気がした。
体力的にきつい行程をこなしながら、それでも少しずつ慣れてくる。
その時、気持ちに緩みが出やすい。
自信がついてきたとも言えなくもないが、遍路旅の最中で自信を持ってもあまり役に立たないのではないか。
これから始まる菩提門の修行に入るため、よりいっそう謙虚な気持ちでいることが必要だと思った。
兜の緒をしめる、という心がまえが、土佐の国では求められるのではないか?
そういった意味での「修行門」だったかもしれない。
「菩提門」である伊予の国は、街を歩く時間も、人の数も多くなるらしい。
俗世間的なわずらわしさで悩まされることも出てくるかもしれない。
どんな状況でも仏の方へ心を向けるには、修行門で心をしっかり作っておく必要があるのではないかと思う。
「菩提心」とは、「利他の心」を言う、と教わったことがある。
旅の中で、人に何かを施せるようなことが出来れば、と思う。
以上 土佐の国を振り返ってみた。