(66番 雲辺寺 ⇒ 70番 本山寺)
昨日の雨は止んだが、雲はまだ残っていた。
6時に宿のご主人の車に乗って、前日の宿の前まで戻る。
昨日、車に乗せてもらった郵便局からまた歩き出そうと思ったが、本来の遍路道は昨日の宿の所から登る山道だとのこと。
郵便局からの道は自動車向けの道路のため距離も長く、アップダウンも激しいだけで遍路道とは全然違うそうだ。
ほとんどのお遍路さんは、従来の遍路道から雲辺寺に行くとのこと。
それならば、と、同泊した福島の男性とともに、前日の宿の前まで乗せてもらうことになった。
番外である箸蔵寺の往復の歩きが途切れてしまうが、もともと八十八ヶ所巡りのルートとはちがうので問題はない。
何がなんでもすべて歩きで通すとか、あまりそういう部分は、細かい事にこだわらなくなった。
むしろ良い傾向かもしれない。
車内で池田町から愛媛に抜ける地域のことをいろいろと聞いた。
昔はどの家も、薪で暖房や調理をしていたので、山に人の手が入って、いつもきれいになっていたそうだ。
マツタケもたくさん取れたそうだ。
しかし、今は山が荒れ放題になり、生えている木の種類も少なくなって、紅葉の色も昔と比べるとかなり色あせてしまっているらしい。
ふと、子供の頃、夏休みの1ヶ月間、ここから十数キロ先にある父の実家に滞在していたことを思い出した。
あの時の田舎の景色は鮮明に覚えている。
子供の頃だったから景色の記憶が鮮明なのかも、と思っていたが、確かにあの時の自然とは少し変わってきているような気がする。
昔は無かった高速道路も出来て、車の台数も飛躍的に増えている。
やがて、前日の宿の前に到着。そこからまた八十八ヶ所の遍路道歩きを再開する。
6時20分に歩き始める。
すぐに急な山道に入る。
一緒に車に乗ってきた同泊の福島の男性は、もうすでに先に行った。
一番札所からここまで29日という、ペースの早い廻り方をされている。
六十六番雲辺寺までは、はじめ1時間が、きつい上りらしい。
その後は尾根伝いに緩やかだそうだ。
お寺に近づくにつれ、晴れてきた。今日は暑くなりそうだ。
もっときつい坂を想像していたが、意外とすんなりと頂上につきそうだ。
むしろ、昨日の雨の箸蔵寺への道の方が大変に感じた。
最大の標高にして、最後の難関といわれている雲辺寺。
本格的な山越えはこれで最後か、と思うと名残惜しい気持ちがする。
こういった山道を毎日歩けることに幸せを感じる。
昔からこういう旅にあこがれを持っていた。
他のお遍路さん達も、この自然と静けさに惹かれて歩いている人が多い。
約1時間で平らな道に出た。ここからはほぼ尾根伝いに登るようだ。
●六十六番札所 雲辺寺に到着。
ここから讃岐の国 涅槃門が始まる。
ご本尊は十一面観音。静かな山寺。
本堂は最近新しく建てられたようだ。清々しい雰囲気のするお寺だ。
境内からは雲海が見えた。雲辺寺という名前そのものの風景だ。
特にお寺の由来や特産品とは関係なく、昔の住職さんが「事が成る」の「成る」を「ナス」にもじってキャッチフレーズを作ったのが有名になっただけだそうだ。
ここのお寺の敷地は香川県で、ロープウェーの乗り場までが徳島県となっている。
参拝を終え、9キロ先の六十七番大興寺へ向かう。
境内から少し下りた所で、道の両側に何百体もの像が現れた。
一体一体が違う表情と恰好をしている。
様々な喜怒哀楽を描いているのだろうか。結構精巧に作ってある。
夜にここに来てみたら、ちょっと怖いだろう。
今にも動き出しそうな感じだ。
ひたすら下りが続く。かなり長い。
逆打ちで廻る人にとっては、ここはかなりの難所になりそうだ。
はるか向こうに、瀬戸内海が霞んで見える。
山道で咲いていた、紫陽花。
やっと道路に出たが、下りはまだ続く。
自家製水力発電をしている家があった。
松ぼっくりを体につけて、なぜか満足気なお地蔵様。
讃岐の山は、個性的な形が多い。
標高800メートル台から一挙に下り、
●六十七番札所 大興寺に到着。
田んぼの中の落ち着いたお寺だ。ご本尊は薬師如来。
石段を登って境内にたどり着くと、遍路旅の僧侶がお経を唱えていた。
ちょうど自分の名前と住所を書き入れた納め札が無くなったので、参拝の前にべンチに座って書いてる間、僧侶の読経を聞いていた。
柔らかく染み渡るような声が、境内にやさしく響き、ここは極楽浄土?、と思わせるような情景だった。
涅槃門のはじめに、素晴らしいお迎えをしていただいたと感じた。
途中から、こちらも横で勤行させていただく。あまり参拝者は来なかった。
とてもいい雰囲気の、里のお寺だ。
遍路中の僧侶と出会ったのは、初日に会った尼僧さんと、2人目だ。
僧侶として、遍路を歩く時、どんな気持ちで歩くだろう。
自分も僧侶になった気分で、遍路を歩いてみると、いいかもしれない、と思った。
競わず、争わず、他に施す気持ちを忘れず、慎みをもって廻ってみてはどうか?
何があっても騒がず落ち着いて、運転マナーの悪い車にも腹を立てず、そのドライバーのために合掌して祈る、果たしてできるだろうか?
さすが、うどん県香川。小麦がたくさん実っている。
途中、「石垣、灯篭に手を触れないでください」と言う標識があった。
何百段もある古い石段が改修されないままで、寄りかかると崩れそうな感じになっている。
明治以降に札所が現在の神恵院に移り、参拝する人がめっきり減ったのだろう。
石段の途中で、源義経が奉納されたという木の鳥居が残されていた。
階段を登りきると、山の頂上に、
琴弾八幡宮が鎮座されていた。
本殿の正面のガラスには、丸に琴の紋が描かれている。
神社での札所参りの仕方として、遍路道保存会が大祓詞を本殿前に貼ってくれていた。
二礼二拍手一礼の後、たどたどしく大祓詞を読む。
境内からは、観音寺の街と瀬戸内海が一望できる。
燕が飛び交っている。
島がぽっかりと浮かぶ瀬戸内海の景色には、本当に心が癒された。
よく、風景で心が癒される、というが、この景色は本当に心が和んだ。
参拝を終えて、現在の札所に向かう途中に展望台があったが、人も多そうなので、寄らずに下りた。
●六十八番札所 神恵院と、六十九番札所 観音寺に到着
二つの札所が、同じ山の中腹の境内に鎮座されていた。
神恵院は、コンクリート打ち放しのモダンな建物と日本式の本堂が融合した造りになっている。
ご本尊は阿弥陀如来。
観音寺は、空海が住職を一時期勤めたお寺。
ご本尊は十一面観音。
どちらの札所も山の中腹にあるため、琴弾八幡宮から見たような景色は臨めず、やはり、この山の要的な存在は琴弾八幡宮であると思う。
海上交通と山からの街道を結ぶ要衝として、重要な地だったのだろう。
その後、七十番札所、本山寺へ向かう。
財田川沿いに5キロ遡る。
まだ讃岐の国に入った初日で分かったようなことは言えないが、ここ観音寺町は落ち着いてゆっくりとしている街だ。
肩の力を抜いて歩ける。これが涅槃門の風情とでもいうのだろうか?
川沿いの道を1時間ほど歩き、
●七十番札所 本山寺に到着。
ご本尊は馬頭観世音。八十八ヶ所中、唯一の馬頭観世音が本尊のお寺だ。
また、本堂は国宝になっている。
隣に聳える五重塔が、平成の大改修中という事だった。
勤行をされているのを聞いたのは六十七番のお寺だけだ。
他のお寺では、こちらが到着するともう終わって帰るタイミングだった。
僧侶がコンビニに寄って、追い抜き、それきりになった。
遍路道が小さな溜池の間をすり抜けるように伸びている。
日が傾きかけて来たが、歩き続ける。
旧街道は、とても落ち着いた雰囲気だ。
溜池では、亀たちが悠々と泳いでいる。
本山寺から1時間ほど歩いて、5時半に、宿に到着。
他に泊り客はいなかった。
宿で聞いたが、琴弾八幡宮近くの素通りした展望台からは、あの有名な寛永通宝の古銭の形が見れたらしい。
ちょっと足をのばせばよかったと後悔。
3日連続で、泊まった宿に、元総理大臣の菅直人さんが泊まった時の写真が飾ってあった。
お忍びで遍路旅に来たらしい。(護衛のお付きの人はいたらいしいが)
明日は、出釈迦寺の捨身ヶ嶽禅定、空海生誕の地である善通寺などを参拝する。