(83番一宮寺→86番志度寺)
今日は曇り。太陽は拝めず。
昨日は到着が遅かったので、つい、出発が予定より遅くなってしまった。
7時30出発。
八十三番 一宮寺は宿から10分ほどのところ。
一宮寺の近くに田村神社と言う大きな神社があった。
ここが讃岐国の一之宮らしい。
名前の通り、讃岐国一之宮の別当寺であったお寺が今、札所になっている。
そうなると、いつも通り、神社から先に参拝すべきだろう。
7時40分、
●田村神社に参拝。
北口参道から入る。境内には色々な社が祀られていた。
その後、
●八十三番 一宮寺に参拝。
八十三番 一宮寺は、田村神社の神域に寄り添うようにひっそりと立っていた。
義渕僧正によって創建。
行基菩薩が田村神社を建立した際に、別当寺となる。その後、空海が安置した聖観音が本尊に。
護摩堂があり、今日の10時から、不動尊の護摩供があると書いてあった。
お参りしたいが、10時まで待つのは長すぎる。
ということで、八十四番に向かう。ここから12キロほどの距離だ。
今日は曇りのためかとても涼しい。
月曜日とあって車の通りも多い。
高松市街を御坊川沿いに歩く。
今日どこまで行くかで、明日でゴールするか、あさってにゴールするか、が決まる。
終着点に近づいているという気持ちの高ぶりは、今のところまだない。
讃岐の国は歩いた日数が少ない割に重要なお寺が多いので、涅槃門についての考察もまだ、まとめていない。
このまま、あっさりと終わっていいのか、と言う気持ちもある。
「遍路あめみち」も、いくつか書きかけのものがあるのだが、載せずにそのままにしている。
心の中の思いをどうやって載せるか、まだ思案している。この旅の間にブログにあげようと思っていたのだが、もう終わりが近づいてきてしまった。
海に近づくにつれて、川は深くなってきた。あまり透きとおってはいないが、よく見ると魚がウヨウヨいる。
これは何の写真かと思うかもしれない。
じつはこの写真を撮る1,2分前に、まったく同じ構図の風景を手前で見ていたのだ。
畑に置いてあるプレハブに白いシャツを着たおじさんが、椅子に座ってぼーっとしている姿がまったく同じだった。
自分しかわからないシンクロ?に感動して、思わず記念に一枚撮った。
市街地から、目指す次の屋島寺が鎮座する山が見えてきた。
角ばった形をした山だ。
途中、「食わずの梨」と言う場所があった。
伝説によると、お大師様がここを通りかかった時、収穫中の梨を一個所望されたそうだ。しかし、これは食べられない梨だから、と言って農夫が断った。それ以来、この地域でできる梨は食べられなくなったと云うことだ。
お大師様がそのような仕返しをする事はありえないが、どうもこの類いの伝説が各地に残っている。
お大師様信仰を定着させるための戒めなのだろうか。
屋島寺に近づくにつれ、ストレートの急坂が続く。
手ぶらにペットボトルだけ持って歩いている地元の人と沢山すれ違う。
恰好のトレッキングコースになっているんだろう。
11時20分頃、
●八十四番 屋島寺に到着。
ご本尊は十一面千手観音。
昔、朝廷から招かれて、鑑真和尚が唐の国から招聘されて来日された際、この屋島に立ち寄って、霊場を開いたのが始まり。
その後、空海が伽藍を移動して真言宗に改宗。
鑑真和尚ゆかりのお寺だけに、本堂の造りは、どこか唐の香りがする。
またこの屋島寺と次の八栗寺との間は、源氏と平家の戦いで有名な「屋島の壇ノ浦」がある。
宝物館には源平合戦の遺物などが展示してあるそうだ。今日は閉まっていた。
屋島寺を出て少し行くと、壇ノ浦を見下ろす高台に出た。
ここから源平の雌雄を分けた屋島の合戦の舞台が一望できる。
その眺望の利くところに、廃屋になった大きなホテルがあった。
そのままの姿で放置されていた。
巨大なホテルなのでかなり不気味だ。(こわいので写真は撮らなかった)
壇ノ浦まで山道を下る。
現在の壇ノ浦は、橋がかかっていて、両岸はコンクリートの岸壁になっていた。
八栗寺側の山を登り始める。
よもぎ餅の店の看板。
「男はつらいよ」で出てきたらしい。
電信柱にうどん店の看板が出てきた。
ここを逃すとこの先、多分うどん屋はないだろう。
すかさず行ってみると、観光客向けのちょっと高めな料理屋風だった。
ファミレスのようなメニューから釜揚げうどんを選ぶ。
食べた後で気が付いたが、ここが「水曜どうでしょう」でいつも訪れていたうどん店の一つだった。
(「水曜どうでしょう」については説明省略)
明日は感動のゴールの日なので、おいしいうどん店を見分ける法則(自論)を発表するどころではなくなるだろう。
今日までの経験を踏まえて、ここで発表しておこう。
●おいしいうどん店を見分ける法則(自論です)
① 店の大きさに比べて、駐車場が広い。
② 看板が控えめ。黒、青、白色を基調にした看板。
③ 店員が淡々と静かに仕事をしている。
④ お客さんが静かにうどんを食べている。
⑤ セルフ形式のお店は今一つ。
以上
どうだろう。
香川県の方から、「こいつ、わかっとるなあ」という声が聞こえて来そうだ?
解説しよう。①、②は、店の経営方針に関係している。
良心的なお店は、お客さんが、うどんを食べて幸せを感じてほしい、という純粋な気持ちで店をやっているので、過度な宣伝や店構えには興味がない。
それよりもおいしいうどん作りに集中するので、外見に頓着しない。しかし、お客さんが多いので、仕方なく駐車場を広くとっている。
③、④、⑤は「うどん」というソウルフードの特徴に関係する。
その特徴とは、「うどんはシンプル。そして奥が深い」ということだ。
シンプルなだけに、食べ方にも、ぶっかけ、たらい、釜揚げ、ざる、かけ、など、さまざまなスタイルを選ぶことができる。
シンプルなだけに、調理のタイミングや茹で加減他、その日の気温、湿度などいろいろな要素が絡んで、おいしさが決まるので、奥が深い。
③について、
作り手は、そんなうどんを一番ベストの状態で食べてほしい、という気持ちになるに違いない。
そうすると、茹で上がり、完成してから、秒単位でお客さんのテーブルに届くまでを計算して店の流れが決まっているはずだ。これを意識すると、余計な愛想を振りまくよりも、いかに迅速にスムーズにうどんを提供するかに自ずと集中するというものだ。
④について、
お客さんは、うどん店に食事をしに来るのではない。「うどんを食べに来る」のだ。
どういうことかというと、香川の人にとって、うどんは食事の枠を超えた、儀式の一部になっていると思うのだ。
生活の節目節目に、うどんを食べてリセットする。よいことがあっても悪いことがあっても、また、リフレッシュするために、うどんで一息つく。たぶん、他の土地に行って香川に帰ってくると、一度うどんを食べないと、落ち着かないのではないだろうか。
そう、うどんを食べることは一種の「禊ぎ」なのだ。
香川の人にとって、うどんを食べることは、邪気を払い、生まれ変わるような意味があるのだ(と思う)。
そして、シンプルなうどんの、その時々の味を確認しながら、自分の感性を養っていく。食べているうどんを確認しながら、うどんに対する経験値を増やして、自分の蓄積してきた、「うどんデータ」を更新しているのだ。
そんな神聖な時間に余計なおしゃべりなどする余裕はなく、良い店であればあるほど、お客さんは黙々とうどんを食するのだ。
⑤ について、
どんなにいいうどん店でも、セルフにすると、この最高の状態で食べる秒単位のタイミングまで、作り手が管理できない。詰めが甘くなるのだ。
やはり、うどんは生き物だ。
どうだろうか?今までの自分の四国でのうどん経験値をフル活用して、まとめてみた。
以上 おいしいうどん店の見分ける法則(自論です)でした。
合掌
うどん屋の看板を追っていて、遍路道の標識を見失ってしまった。
店員さんに教えてもらったら、この店のすぐ横を通っていた。
また登り始める。
ここ数日、よく会っていた僧侶の男性が、後ろからやってきた。
しばらく話しながら一緒に歩く。
京都の智積院でこの1年間勉強し、得度したばかりとのこと。
一度研修で、バスで八十八ヶ所廻ったが、歩いてみないとわからないことが多く、1人で歩いているという。
ご自宅のお寺の住職を継ぐことになるそうだ。
前は他の仕事をやっていたが、実家を継ぐことになり、週休2日だと言われて僧侶の学校に行ったら、毎日お勤めがあって休みがなかったそうだ。
就学中は携帯も持たず、連絡も手紙でのやりとりだけだったそうだ。
ちょうど自分も数年前に、智積院の宿坊に泊まったことを話した。
近々、宿坊も建て替えるらしい。
こちらがお参りの時、手印を組んでいるのを見て、てっきり得度したお坊さんだと思ったらしい。
得度はしていないが、自分の通っているお寺では、皆、伝授を受けていると言うと、驚いていた。
お寺の名前を言ったが、ご存じないようだった。
京都にいれば、必ず耳にするお寺だとは思うのだが、就学中は外部の情報がほとんど入ってこないらしい。
午後2時10分頃、
●八十五番 八栗寺に到着。
ご本尊は聖観音。
深い緑の中にある山のお寺だ。
参拝後、また山を降り、海沿いにある八十六番に向かう。
昨日は遅くまで歩いたので、今日は午後4時半ぐらいに到着できる宿を予約した。
これからの予定を考えたりしながら、そろそろ歩いているうちに、瀬戸内海に出てきた。
途中、江戸時代に「日本のエジソン」と云われた、平賀源内の生家があった。
ここ志度の生まれらしい。
てっきり江戸の人かと思ったら、讃岐の生まれだったのだ。
江戸には全国から優秀な人が集まっていたのだろう。
午後4時前に、
●八十六番 志渡寺に到着。
ご本尊は十一面観音。
藤原不平等が創建したといわれる、四国でも屈指の古いお寺。
境内はまるで植物園のようだった。
沢山の種類の木々が植えられていて、境内の見通しがまったく効かない。
志度寺から、200メートルほどの場所にある宿に入る。
ここは大正時代に建てられた建物が有形文化財になっている。
ちょうど両脇に中庭がある部屋に入った。
明日は、八十七番、そして最後の八十八番となる。
距離的には、さほどのことはないが、最後には高い峠が待っている。
今日は、いろいろ書かずに、明日に回すことにしよう。