(海岸線を歩く)
日の出。
雲の切れ間から太陽が覗いてくれた。
7時出発。
朝食終えてすぐ歩き始める。今日はお寺の参拝は無い。
徳島の県境を越えて高知県に入る。
宿までの37キロをを、ひたすら歩き続ける1日になる。
7時台に、逆打ち(逆周り)の方2人とすれ違った。
砂浜に降りて、海水に湿った砂を踏みながら歩いてみる。思ったよりも歩きやすい。柔らかい地面が心地よく感じた。
入り江の海は静かで、底もきれいに見渡せる。
宍喰大橋を渡る、橋の下に魚市場があり、朝のせりの威勢の良い掛け声が聞こえてきた。
競り市場の屋根には、おこぼれに預かろうと、たくさんのとんびや鷺が虎視眈々と狙っていた。
トンネルを抜けたら、
高知県に入る標識が出てきた。
ここで阿波の国は終了になる。振り向いて、阿波の国に合掌して、感謝した。
高知県に入り、歩きを続ける。
サーフィンのメッカと看板が出ていた生見海岸。
遠くでサーファーたちが波に乗っている。
どことなくサーファーに親しみを感じるようになった。
途中、砂浜に下りて休憩。もちろん足はアーシング。
朝の逆打ちの2人以外には、今日は2人の日本人と行き会った。
1人はソーラーパネルをリュックに付けて歩いている野宿派の茨城の男性。
もう1人は休憩所で休んでいた中高年の男性。
2人とも後から25キロほどの宿が目的地だと言う。
今日は、昨日と違い、外国の人とは1人も出会わない。(フロリダ二人組をのぞいて)。
この偏りは何なのだろうか?
その日ごとに出会う人々やテーマの筋書が決まっていて、その出演者が誰かの采配によって決められ、目の前に現れているのではないか、とさえ感じる。
そういえばジムキャリーの主演で、そんな映画があったのを思い出した。「トゥルーマンショウ」だったか。
土佐の国に入ってまもなく、見えるものは、空と海と道だけになる。
これが延々と続く。今日一日歩いても、これと同じような風景が続くだけだった。
今では自動車道路の端を通って平坦な道を歩くことができるが、その昔は、そう簡単な道ではなかっただろう。(今も約20キロの区間は人家も何もない区域がある)
海岸のゴツゴツした岩を乗り越え、あるいは山の昇り下りの激しい道を、苦労して室戸岬へ向かったのだろう。
そういう道のりの辛さからも「修行門」といったのではないか。
実際、江戸時代、全国を行脚していた「佛海」という僧侶がこの地域に留まり、地域のために、遍路の援助に尽力されて、この地で亡くなられた、という記録がある。
聞いていた通り、本当に行けども行けども、同じ風景が続く。
空と、海と、道路ばかり。
突然、断崖絶壁の間から沢の音が聞こえ、オアシスが現れた。
法海上人庵という場所で昼食にする。
沢の音と浜辺の波の音が両方聞こえてくる。
日陰のなかった道を歩いてきたので、生い茂った木々のなかで涼めるのがありがたい。
完全な無人地帯をようやく越えて、町が出てきた。町中に入っていていたら、広いところに黒いものが細く長く横たわっていた。
何かと思ったら漁船の網だった。
途中、渡るはずの橋が全面通行止めになっていた。
旧国道の橋なのだが、もう落ちそうなのだと言う。たまたまいた男性に他のルートを教えてもらう。
初めて会う高知の人だ。
徳島からさほど離れていないのに、
「こっちは行けんじゃちー」と言う感じで、完全に土佐の言葉だった。
磯辺に降りて休憩する。
寄せる波をすぐ近くで見ていたら、海の水にはリズムがある事をあらためて感じられた。
今まで見てきた川の水の動きとは明らかに違う。川と海は、別の生き物のようだ。
川の水は、高いところから低いところへ、一定の目的に向かいながら流れを変える、素直な動きだ。
海の水は、それ自体が、1つの生命体のようにも見えてくる。どこかへ向かうためでなく、一定のリズムで呼吸しているようだ。
海には躍動感がある。
波は感情を持っていて、じっと集中すると対話さえできるような気もしてきた。同じ風景をひたすら歩いていると、想像力が増すのだろうか。
海の味を確かめた。確かにしょっぱい。
浜辺で遊ぶ親子がいた。
途中、老夫婦の乗った車が道に泊まり、持っていきませんかと声をかけていただいた。
ありがたかったが、歩くのを目標にしていますのでと、お気持ちだけいただきありがたくお断りした。
「そうですか、お気をつけて」と走り去っていかれた。
続いて、バイクに乗ったおじいさん。
いきなりバイクを道の横にぎゅっと止めて、さっと冷たい缶コーヒーを渡してくれた。今買ったばかりのようだ。納め札をお渡しすると「どっかに納めるね」と、うれしく受け取っていただいた。
宿の手前3キロの所、夫婦岩。
ひたすら歩いて、午後4時40分ごろ今日の宿に到着。37キロを歩き通した。
さすがに足が痛くなった。
今日の宿は、以前住んでいた家を民宿として使っている。
家にいるような気分でとても落ち着ける。
なんと部屋の中に仏壇があった。中身は空だから安心して、と言われた。
フロリダ2人組みはすで到着していた。宿泊は我々3人だけ。部屋は2つしかない宿。
夕食は、また英会話勉強タイムとなる。
内容は、太極拳について、輪廻転生について、キリスト教と仏教の違いについて、など。
遍路宿といっても、日本人同士だったら、まずこんな話題は話す事はないだろう。
宿のおかみさんも参加して、とてもリラックスして夕食を楽しめた。
(英語の聞き取りは、骨が折れるが)
●発心門(阿波国)をふりかえる
阿波の国は発心門だった。なぜ発心門なのだろうと、徳島に来た時から疑問だった。
すでに発心しているから、準備をして徳島に足を運ぶのではないか?
なぜ、遍路旅の4分の1を発心のために費やす必要があるのだろうか?
歩いている時にも、考え続けていた。
なぜだろう?
発心門、、、。そうだ!発心門!
思えば、旅を決心して徳島に乗り込んできた時は、自分なりのこだわりや目論見をたくさん持っていた。
例えば、アーシングをやろうとして、下手くそな細工を靴に仕込んで見事に失敗。そればかりか靴自体もサイズが合わず、捨てる羽目に。
他にも、今まで培った既成概念や皮算用を、遍路旅でも無理矢理通そうとしていたことが、たくさん思い当たる。
その気持ちを阿波の国の旅で、早くも打ち砕いてくれた。
今までの欲や物差しをいったん捨てることが必要だということだ。その上で、本当に心の底から願うことは何なのか、気づくことが大切なのではないだろうか?
人が亡くなった時、三途の川の河岸に奪衣婆がいて、あの世に旅立つために、この世の執着を無理やり剥ぎ取ってくれるように、変化する前には、一度裸になる過程が必要なのではないか?
お前、それで本当に決心しているのか?、と、きつい山道は何度も問い返してきた。
今までの甘い自分の姿を、旅の中で見せつけられたような気がする。
本気で物事を成そうと思ったら、頭の中の考えだけでは足りないのかもしれない。
理屈だけでなく、心の底から、体を含めて全身全霊で、それに向かって本当に動き出しているか、その全てが動き出して、初めて発心できるのではないか?
それを見つめ直すのが発心門の旅なのかもしれない。
今の時点で考える発心門の意味はこの通りだ。
この旅が終わる頃には、そんな青いことも言っていたなあ、と笑って振り返るのかもしれないが。
土佐の国は、修行門だと言う。これからどんな修行させてもらえるのだろうか。