(土佐清水市から三原村)
日の出の時刻を45分過ぎて、ようやく雲の間から太陽が昇った。
さすがに今日は雨はないだろう。
宿の部屋から見た景色。目前に山が広がっていて気持ちよかった。
7時30分出発。
昨日と打って変わって、おだやかな波の土佐清水港の横を歩いていく。
この看板をよく見かけるが、どういう意味なのだろう?
なんとなく記念写真。6キロやせた。
8時30分の開館を待って、ジョン万次郎資料館に立ち寄る。入場料は400円。
ジョン万次
万次郎は漁師を志していた。
遭難してアメリカの船に救助され、そのままアメリカに渡り、勉学に励んだ。
足摺岬沖ではクジラ漁が盛んだったが、幕府の命令で、クジラに銛を打つ大事な役目は、室戸岬の漁師と決められており、足摺岬の漁師はどう頑張っても銛打ちにはなれなか
江戸時代末期当時はアメリカも盛んに捕鯨をやっていたよう
アメリカでは実力さえあれば誰でも活躍できることを知り、救助された船の船長のすすめもあってアメリカでの生活を選んだ。
その後いろんな波乱万丈の日々を経て、日本に帰り、島津斉彬、坂本龍馬、その他、幕末から明治にかけて活躍した多くの人物に外国の情報を伝え、咸臨丸に通訳として乗り込むなど、日本とアメリカの橋渡し的な役目を行った。
万次郎が鳥島で救助されたアメリカ船の模型。
ジョン万次郎、気になる男だ。
昔から、冒険家にあこがれ
植村直巳さんなど、一人で探究心のおもむくま
スケールは小さいかもしれないが、この遍路旅も、今まで殻を破るために未知のことにチャレンジする、という気持ちで臨んでいる。
30分ほどで見学して、また遍路道に戻る。
雲から晴れ間が見えてきた。
この辺で土佐の海とはお別れになる。
思えば、10日以上、海を見な
これからは進路を変え、北東方向の山の中へと入っていく。
途中、農家の人の軽トラの中に犬がいた。
なんと数十年
名前はリュウというらしい。
リュウのお父さんと色々と話す。
昔は東北新幹線の送電設備の工事で、栃木の方まで出稼ぎ行っていたそう。
ここら辺の米は一番うまい。
田植えの時と稲刈りの時はやっぱりものすごく忙しいらしい。
オクラも一
昨日までの雨で、川の水も増えているようだ。
登り坂だが、きれいな舗装の道路が続く。車はほとんど通らない。
久々に見る山深い緑の風景。
1時間歩いても、車は一台も通らない。一本道なので、間違えるは
これだけ大きな渓谷の中で自分以外誰もいない、という
昨日会った茨城の彼だったら、気持ちが折れて
道路のすぐ横に滝が落ち、下の方からは、川がたくさんの水をたた
こういう道路の上で、生き物が死んでいるのをよく見かける
小さな生物にとっては、アスファルトの道路は、
舗装道路は山の自然を分断してしまう。
今まで登ってきた谷が幾重にも折り重なり、海はもはや、はるか遠
昔の人は、だれもいない山を歩く時、山賊が怖かったろうな、と、ふと思う。
川が道に近づいている地点で昼食。
少し肌寒く感じるのは、標高が高くなったせいだろうか?
雲の切れ目から太陽が顔を出すと、あたたかさが戻った。
傾斜はゆるくなったが、ずっと曲がりくねる登りの道が続く。
突然、高性能スピーカーで再生したような鳥のさえずりが、すぐ間近で
急いで録音しようと思ったが、もう鳴いてはくれな
自然のタイミングは一期一会だ。
午後1時半、やっと三原村の境界につく。標高は、646メートル
下り坂から、遠くの山が見える。霞んで見えるのは、愛媛の山々だ
海から約5時間かかって、山の反対側の里に降りる。
田んぼに勢いよく水
山を登り始めて里へ下りるまで、お遍路さんはおろか人1人も会わなかった。
そういうお大師様のコーディネイトの日なのだろう。
山の緑と水を張った田んぼ。何の変哲もないのだが、綺麗でつい撮ってしまう。
少し迷って、4時半ごろ今日の宿に到着。
何か外見が少し変わっている。
NPO法人が運営する宿と書いてある
この建物は宿の人の自作なのだろうか。
風呂も手作り感いっぱいで、特殊な形をしていた。洗い場は体
家の中には蚊が何匹も飛んでいた。すかさず蚊取
今夜は蚊取り線香の煙が充満している中、
今日の同泊は、なんと今回で十週目の逆打ち中の先達。
白いヒゲが風格たっぷりの方だが、いろいろと気さくに話してくださった。たいていの遍路道のことは熟知されていた。
今日、自分が通ってきた道はあまり歩く人はいない、とのことだった。
空海の修行の聖地を訪ねたいならば、といくつかのおすすめの場所も教えていただいた。
特に六十番横峰寺の星ヶ森は行ってみたらいい、と言ってくださった。
今日は歩きに徹した一日だった。蚊取り線香の煙の中で、眠りについた。