春の嵐
出発の朝は暴風雨だった。
くわえて悪いことに出発の5日前、ギックリ腰をやってしまった。
接骨院へ5日間通いつめ、計8回の治療を受けて何とか荷物を背負って歩けるまでには回復できた。しかし、長い距離を歩くのは、不安を感じる。
こういうことはたびたびあった。
今までにも、何度か挑戦する旅をする機会があったが、そのたびに出発を妨げるような動きが出てくるのを経験している。
まるで決心のほどを試されているかのようだ。
長い旅の前に、理由もなく憂うつになることがたびたびあった。日常から抜け出して慣れない行動をすることは、それが望んでいたことであっても、つい億劫になるのが人間なのだろうか。
幸い自宅を出る午前9時頃には雨はあがり、強い風だけが吹いていた。
荷物を担いで、おそるおそる駅まで歩いてみる。何とか痛まずに歩けそうだ。(もっとも、これぐらいで痛むとしたら、この先は絶望的だが)
羽田空港に着くと、幸い飛行機は欠航にはなっていなかった。
見送りにきてくれた約1名と、保安検査場を通りすぎて、手を振って別れた。
さみしさと惜別の気持ちがこみあげてきた。見送る側と旅立つ側で、気持ちのシンクロが起きているような、そんな感じがした。
飛行機に乗り込む。
もし今、昔のお遍路さんが一緒だったら、現代の交通機関の有り様に度肝を抜かすかもしれない。あるいは便利さに堕落した我々を嘆くだろうか。
今は、東京から徳島までのほんの一時間、コーヒーを飲みながら本を読んだり、居眠りをして退屈な時間を過ごしていると勝手に飛行機が運んでくれる。
逆を言えば、そんな便利な世の中になっても、わざわざ何十日も歩くためにたくさんの人々が遍路道へ集まっていく、というのは不思議だ。
遍路には、時代を超えて惹きつけるものがあるからだろう。
飛行中はさほど揺れず、到着予定の20分遅れで徳島空港に降り立った。風は強いながら、雲の切れ目から青空が覗いている。
滑走路越しに見える山々は新緑の色に染まっており、太陽光を反射して輝いている。
徳島駅までのバスは、吉野川の広い河口と中州を何度か渡りながら走っていった。
道すがらは、車の交通量も多く、全国チェーンのレストラン、ファストフード店が並んでいる。
現地の人が徳島の名産物ばかり食べているわけではない、というのはもちろんわかっている。
しかし、どこへ行っても見慣れた派手な看板、同じ店構えばかりだと、つい興ざめしてしまうのはよそ者の身勝手だろうか。
徳島駅で3人のお遍路さんが歩いていた。
はじめて動いているお遍路さんを見た。皆、新しめの白衣と杖の姿だが、気恥ずかしい感じもなく、自然な感じで歩いていた。これから自分があの格好をして歩くんだ、とわかっているけれども、少し気恥ずかしい感じがする。
今日の宿がある坂東駅までは、単線のワンマン電車で移動。
途中、徳島の山並みが見えてきた。なだらかに、同じような高さを保って横に続いている。それが、二層、三層に重なってのどかな風景を織り成している。
見ていると穏やかな気持ちになる。徳島の人は、人当たりがやわらかい印象がある。その土地の人の気質と、山並みの風景はどこかでつながっているのかもしれない、と思った。
その風景を眺めて、ふと、「なつかしい」、「帰ってきたな」、という気持ちになったのは、自分の血がそう感じさせたのかもしれない。
じつは、両親とも徳島県の山間部、吉野川沿いの出身なのだ。自分には100%徳島の血が流れている、ということになる。
すでに他界している父と先祖が、自分の目を通して徳島の山を見て、あちらで喜んでいるのかもしれない、と想像した。
じきに、
坂東駅に到着。
趣のある無人駅。
宿に向かって歩き始めてすぐのこと、道の向かいの家の前にいた、いかにも四国顔(注:いかにも四国の人らしい顔立ちのこと。わかる人にはわかる)のおじさんが、
「いっきょんな!」と声をかけてきた。
突然で意味がわからなかったが、それに続いて「がんばって!」と言ってくれたので、「歩きお遍路さんに行くんだね!」と言ったのだということが理解できた。
こちらはまだ普通の服装だったのだが、一番札所霊山寺に近い場所で、リュックを担いでいるだけでお遍路に行くとわかるのだろう。
宿への道をお聞きすると、待ってましたとばかり、親切に教えてくれた。
古めいた、雰囲気のある路地を少し歩いて、一番札所霊山寺の前を一礼して通り過ぎ、しばらく行くと、大麻比古神社の大きな鳥居が見えてきた。
今日の宿、「観梅苑」はこの神社の参道の途中にある。
一度、宿に荷物を置いて、霊山寺の門前にある遍路用品のお店に、装束やグッズを揃えるために出かけた。
店内にいる間、歩き遍路スタイルに身を固めたフランス人のカップルが二組、入ってきた。
最近、フランスの女性が歩き遍路の旅行体験記の本を書いたらしく、それ読んでお遍路に来るフランス人が増えたらしい。
お遍路グッズについて、店員さんに説明してもらいながら、一式を揃えた。
白衣は歩きの邪魔にならないよう袖なしを買おうと思っていたが、山の中を歩く時、虫除けになるのと、熱い日は日除けになる、ということで袖ありを勧められた。
やはり現地の人に聞かないとわからないものだ。
御朱印帳は、八十八ヶ所専用と、番外や奥の院、神社参拝用の物を別々に揃えることを教えてもらった。
用品店の一角の休み処に「うどん」の旗差しが出ていたので頼もうとしたら、もう今の時間はやっていない、と言われた。
普段だと表に「うどん」と書いてあるのに、と文句を言いたくなりそうだが、徳島の雰囲気の中では、ああ、この時間だったらしようがないね、と許せる気持ちになる。
宿の泊り客は4名とのこと。ぎっくり腰の療養のため、明日もう一日滞在することにすることを早めに宿に伝えた。
宿の方もお大事に気遣ってはくれるが、泊り客の中で一人だけじっとしているとなると、やはり気持ちが急いてくる。
が、しかし、腰は無理をすると後に響く。それに、じつは今回、道中のお寺のこと、道のりについての情報、お遍路の基本知識などをろくに下調べもせずに、あわただしく徳島に来てしまっていた。なので、せめてもう一日ここに滞在して、にわか仕込みでも、大まかな計画を立てることにする。
また、パソコン・スマホの類いが得意でないにもかかわらず、ブログを書くことに決めて、ろくに使い方もわからないままこちらへ来てしまった。書き方、操作の仕方も明日に何とか会得して、とりあえずは第一報をアップするまではやりたい。
今日の宿「観梅苑」は阿波国一之宮である大麻比古神社の参道沿いにある。
私の住所である千葉県・房総半島を開闢された「天富命」という神様が、元々本拠地として住まわれていたという言い伝えがある。
旅の始めにはぜひ参拝したいと思っていたので、明日はお参りをしようと思う。
夕食時、泊り客のために、広めの食堂に一つの机に一人ずつ席が設けられていた。話しかけるかどうか微妙な空気感が漂っていた。
一人の方が宿の人と話していて、八十八番からの逆回りで今日一番にゴールしたということだった。50代ぐらいの男性が、その方の机にメモを持って近寄り、おすすめの宿などを聞きはじめた。
この歳で恥ずかしいが、私は人見知りで、あまり初対面の人に話しかけるのはあまり得意でない。
その方が言うアドバイスを横耳で聞きながら、遠い席からうんうんと首だけで相槌を打っっていた。
夕食のメニューに梅酒のオンザロックがついてきた。じつは今回の旅は、禁酒の誓いを立てたのだが、遍路旅は明後日からなので、と自分に言い訳をして、おいしくいただいた。
旅の持ち物がすべてそろったので、記録撮影をして、午後10時に床に入った。
このペースで、ブログに報告を毎日載せていけるだろうか?とても不安だ。
何とかなるだろうか?