早いもので、もう師走になりました。
冬のボーナスの頃ですが、クリスマスやお正月で何かと出費も多く、お金の出入りがさかんな月です。
口座の残高を見て、ふと心細さを感じることはないでしょうか?
冬が始まる時、動物や虫たちは冬ごもりの準備に追われます。
人間も動物的本能が働いて、自分の蓄えが気になるのかもしれませんね。
そこで今回は、私たちの大好きな「お金」について、深ーく考えてみましょう。
突然ですが、あなたにクエスチョン、
もし、手にしたことのない大金が手に入ったら、何に使いますか?
豪華に世界一周旅行?
高級外車を買う?
三ツ星レストランをハシゴする?
バスタブをお札で満たして、お金のお風呂に入りたい、という人もいるかもしれません。
大金を手に入れた時、その人の本当の器がわかる、といいます。
そう言われると、さっそく妄想を始めた方は、ドキッとするかもしれませんね。
お金持ちほどケチ?
お金持ち、と聞いてすぐに頭に浮かぶ人といえば、マイクロソフト社創業者のビル・ゲイツ氏。
こんなエピソードがあります。
ゲイツさんがマイクロソフト日本支社を視察に訪れた時のこと。
その頃は自社ビルでなく、テナントビルのフロアを借りていたそうです。
ゲイツさんはエレベーターで7階に上がり、日本支社の受付の前に到着してすぐ、開口一番、
「この足拭きマットは必要か?」
「1階のマットで靴の泥は取れるんだから、このマットは必要ない。このマットに経費はいくらかかっているんだ?」
と言って、月3千円もしないマットのレンタルをやめさせたそうです。
ちなみに、当時のマイクロソフト社の年間売り上げは2兆円超え。
ビル・ゲイツは、なんてケチなんだろう、と思うでしょうか?
でも、ムダなコストは徹底的に省く、そのやり方でマイクロソフトを超巨大企業にしたのですから、すごいものです。
お金はまるで水のよう、、
なんとなくのイメージですが、
大きな財産を持っている人ほど、見た目は意外と普通の感じで、質素な生活をしているような印象はありませんか?
「金は天下の回りもの」ということわざがあります。
普通人の感覚だと、懐に入ってきたお金は自分のものです。
しかし昔から、財産家といわれる人の考え方は、少しちがっているようです。
いかに消費するか、よりも、お金をどうやって循環させようか、と考えているようです。
だから、自分のために使うことにそれほど頓着しないのかもしれません。
流れを読んで送り出したお金は、やがて天下を廻って、大きくなって戻ってくる、
本当の財産家ほど、そんな「お金の性格」をよく知っているのかもしれません。
知り合いに財産家がいないので、想像でしかありませんが、、。
なんでお金が好きなのか?
お金は、生活と切っても切り離せません。
また、お金は豊かさの尺度としても使われます。
お金をたくさん持っていれば裕福、
お金が無ければ貧乏、
というぐあいに。
ちなみに「貧乏」という言葉を、いつも使っているイラストのサイトで検索すると、
お金が登場するイラストばかりでした。
生活するためにはまずお金、
豊かになるためにはお金、
兎にも角にもお金が大事、というわけです。
でも、お金自体に何ができるでしょうか?
食べられないので、空腹は満たせません。
紙幣で服をこしらえても、当然、使いものになりません。
モノとしては何の役にも立たないのに、なぜお金を欲しがるのか?
わかりきったことですが、
欲しいものを手に入れるための「交換券」だからです。
それ以上でも以下でもありません。
なので当然ながら、交換する対象の物や価値がまず存在しなければ、お金は意味を成しません。
お金は手段で、最終目的ではないのです。
理屈はわかっていても、何かとお金ばかり追い求めるのは、どこか滑稽ではありますね。
では、
私たちの欲しいものは、本当にお金があれば手に入るものばかりでしょうか?
そんなこともありません。
そこに品物があって、売る人がいて、さまざまな条件が調わなければ、お金だけ持っていてもどうしようもありません。
お金は、いろいろな条件が出そろった後での、最後の一手でしかないのです。
そう考えると逆に、タイミングや縁がよければお金を使わなくても、良い物や結果を手に入れることだってできると思いませんか?
お金は「自由」の象徴?
私たちは「自由」になりたいからお金が欲しいのかもしれません。
お金があれば、好きなお寿司を毎日食べられる、
お金があれば、好きな服を買える、
お金があれば、子どもをいい学校へ行かせられる、
やりたいことを自由にできない制約から「自由になりたい」と思う気持ちが、お金へ向かわせるのではないでしょうか。
しかし、その思いに執着すると、かえって「不自由」になることはないでしょうか?
がんばって稼いでも、節約しても、考えるのは、お金の皮算用。
お金の制約から自由になる為なのに、お金に気持ちが取られて、逆に束縛されてしまったことはありませんか?
お金しか見えなくなると、
大切な人との時間を失ったり、
利己的になって気持ちの余裕をなくしたり、
心配のあまり健康を蝕むことさえあります。
それでは本末転倒です。
お金に振り回されている、と思った時は、
「私は何が欲しいのだろう?」ともう一度、考えなおすいい機会です。
もしかすると、お金で買えないものを、無理やり「買おう」としていただけかもしれません。
「欲しい、欲しい」という気持ちは、すでに恵まれているものを見えなくしてしまうからです。
お金持ちの条件とは?
汗をかいてやっと手に入れた百万円と、苦労なくポンと入ってきた百万円、どちらも同じお金です。
使い方次第でも、お金の価値はまったく違ってきます。
有効に使うこともできれば、ムダに浪費することもあります。
どちらの姿にも変われるところが、お金の長所でもあり、短所でもあります。
私たちは努力次第でお金持ちになれるかもしれません。
ただ、たくさんのお金を手に入れても、それを本当に価値あるものに「交換」できるかどうかは、別問題です。
その交換の秘訣をわかった人が、お金持ちの器、といえるのかもしれませんね。
ただ、それよりも、
良い人に恵まれている「人持ち」、
毎日、有意義な時間を過ごせる「時間持ち」、
そして、それらを両方持っている「幸せ持ち」になる方が大切だと思うのですが、、。
あなたはどう考えますか?
まあ、お金持ちになるのも結構ですけど、
「絵に書いたモチ」にならなければいいのですが、、、(もうすぐお正月だけに、、)。
おわり