
「なんとなく、好きだな」
「なんとなく、いやな感じ、、」
「なんとなく、こっちかな」
理由はないけど、
「なんとなく」で決めること、
よくありませんか?
わたしたちは、
日常のほとんどを、
無意識に「なんとなく」で
判断しているような気がします。
大切なことでも、
迷ったあげく、最後の決め手は、
「なんとなく」だったり、、、。
「なんとなく」は
ほんとうにワケもなく、
頭に浮かんでくるのでしょうか?
そうではないようです。
「なんとなく」には、
かならず理由があります。
ひとつは、
「経験からくる、なんとなく」です。
たとえば、
ユ○ク○などのファストファッション店で
つい衝動買いをして、
「なんとなく」買ってみたシャツやインナー。
家に帰ってみたら、
去年買った、まったく同じものがあって、、、
ムダなことをしてしまった、、。
そんな経験はありませんか?
その時の気分で選んだつもりでも、
選ぶパターンは意外と決まっているものです。
これは思考回路にできた
タイヤの跡(轍「わだち」)のようなものです。
この「わだち」が、
経験を重ねるたびに深くなり、
その人の趣味、嗜好、思考パターンが
形作られます。
大半の「なんとなく」は
これかもしれません。

そして、もう一つ、
「過去の心の傷から来る、なんとなく」
というものがあります。
この「なんとなく」は、
ひんぱんには浮かんで来ません。
でも、
大事な選択をする時にかぎって、
現れるのです。
たとえば、
子どもの頃、
親から虐待を受けて育った人が、
同じような目に会わせる相手と
「なんとなく」結婚してしまう。
ひどく裏切られて
恋人に捨てられた人が、
なぜか「なんとなく」同じ匂いの
する相手とまたつきあってしまう、
この
「過去の心の傷からくる、なんとなく」は、
とても屈折していて、
表面意識では絶対に望んでいないのに、
もう繰り返したくない状況を
みすみす選んでしまいます。
なぜ、そうなってしまうのでしょう。
つらい想いが
あまりにも深い場合、
表面意識は必死に
それを忘れようとします。
でも、
心の中に抑え込まれた
つらさや苦しさは、
表面では忘れても、
そのまま奥の方で残ります。
そうすると、
そのつらさや苦しさが、
「気づいて、気づいて!」と、
心の檻の中で、あばれ続けます。
そのあばれている悲痛な
叫びの反響音のようなものが、
「なんとなく」という想いに
姿を変えて浮かんでくるのです。
そのときの「なんとなく」には、
その苦しい想いがストレートに
投影されているため、
みすみす望まない選択へと、
あなたを導いてしまうことになるのです。
なので、
過去のつらい想いを
心の奥に隠しつづけるのは、
あなたにとって、
けっしていいことではありません。
知らないうちに、
あなたの人生を操っているかも
しれないからです。
一度はしっかり受け止めて、
自分なりに乗り越える必要があります。
つらい思い出を反面教師に
変えて生きている人は、
「つらい想いを受けとめて、
向き合ったおかげで乗り越えられた」
とよくおっしゃいます。
ただ、
実際、一人で向き合うのは、
そうカンタンなことではないかもしれません。
まず、できることとして
「なんとなく」が浮かんだ時、
「心の中のどこから湧いてきたんだろう?」
と、ふりかえってみてほしいのです。
それを心がけるだけでも、
よい「なんとなく」と、
よくない「なんとなく」を、
見分ける感性が育ってきます。
セラピーセッションをおこなって
心の重荷が軽くなると、
今まで、思いもしなかった
ひらめきを得る方が
たくさんいらっしゃいます。
また、
なんとなく通りすがりのお店に
入ってみたら、会いたかった人と
ばったり会った、とか、
なんとなくいつもとちがう道を
歩いてみたら、
めずらしいきれいな花が咲いていた、
とか、
ちいさくても
うれしい出会いにめぐまれる機会が
増える方もいます。

こんな、
直感とか、インスピレーションも
「なんとなく」のひとつですね。
「過去の心の傷からくる、なんとなく」が
鎮まってくると、
「ステキななんとなく」を感じるチャンスが
増えます。
できれば、
よい「なんとなく」に囲まれながら、
毎日を過ごせたら、いいですね。
わたしもよい「なんとなく」を
増やしたいなあ、という方、
心の専属トレーナーがお話しを
お聴きいたしますよ。