こんにちは。
『あなたの心の専属トレーナー』
脇山あきらです。
これを書いている今日は、
クリスマスイブ。
「なんでそんなに浮かれるんだ?
キリスト教徒じゃあるまいし…」
などと、ヤボなことを
言うのはやめましょう。
華やかに飾られた街並み、
楽しそうに行き交う人々、
クリスマスの風景は
日本でも完全に冬の風物詩です。
そして、だれにでも
心がキュンとして、温かくなるような
クリスマスの想い出があるはずです。
クリスマスには
人を優しい気持ちにさせる
マジックがある、
といったら大ゲサでしょうか。
そんなクリスマスイブに
「さみしさ」なんて
取り上げるのは似合わない、
と感じるかもしれません。
でも、思うのです。
この聖夜の、この瞬間も、
だれもが皆
さみしいんじゃないのか、と。
仲間と陽気に
騒いでいても、
愛する家族と
笑い合っていても、
一人きりで
ケーキをつついていても、
形や色はちがえど、
心の奥にある「さみしさ」は
皆、同じ源から来ているような気がします。
それは、
人間は基本、孤独だという真理。
どんなに近づいても
皮フと皮フの境い目が
自分と他者を分けるように、
100%心を通じ合わせることは
誰一人としてできません。
でも、だからこそ、
だれかと触れ合いたくなるのです。
さみしい時には
自分の心の声がやけに
よく聴こえてきます。
そして素の自分と
向き合わずには
いられなくなります。
『生まれてきた時も一人、
死んでいく時も一人』
というのは仏典の言葉だったでしょうか?
孤独にやすらぎを感じられる人こそ、
真に強い人なのかもしれません。
でも、つい、
さみしさに暮れてしまう私たちも、
まんざら捨てたものではないですよ。
さみしさを
抱いているからこそ、
人を思いやり、
自分を思いやり、
時の流れを慈しむことができます。
さみしさは
「優しさの証し」でもあるのです。
そして、さみしさは
接着剤のようなもの
かもしれません。
さみしいからこそ、
人との絆をつなぎとめたり、
昔をいとおしむ、その想いが
割れた心のヒビを
くっつけてくれるのですから。
独りでかみしめる
さみしさにも、
人の群れの中で味わう
さみしさにも、
かならず学びは
あるはずです。
私(セラピスト)も、
そんな学びの途中の一人です。
ただ、私には、
セラピーを通して
他には明かせない胸の内を
共有させてもらったり、
今これを読んでくれている
皆さん一人一人との
つながりがあります。
そのつながりが、
いつも私に力を与えてくれています。
ほんとうに
感謝の想いがあふれます。
今、あなたの近くに
さみしさを分かち合える人が、
いるとしても、
いないとしても、
私は今、
これを読んでくださっている、
あなたの幸せを祈ります。
そんな想いにひたりつつ、
今年も、あとわずかとなりました。
それでは、どうか、
あなたのクリスマスイブが
素敵な夜でありますように。
一人でいられる能力が、
愛する能力の必須条件である。
〈エーリッヒ・フロム〉