(11番 藤井寺 → 12番 焼山寺)
鴨島駅近くからの日の出。
街中でも見事な朝日を拝めた。
再び、7番札所 藤井寺へ
7時10分出発、ホテルを出発。
藤井寺まで1時間弱かけて戻る。
燕が飛び交う商店街のアーケードを歩く。両足の指で無傷のものは1本もない。
昨日までのマメや合わない靴の圧迫の影響で、歩くと全ての指が痛い。新しい靴はうまくフィットしてくれるだろうか、不安。
8時ちょうどに、
●十一番札所 藤井寺に着く
昨日のうちに本堂は参拝をすませたので、今日は「八畳岩」という、弘法大師が藤井寺を建立された時に、17日間護摩を焚き、秘法を修されたという場所に向かう。
10分ほど細い山道を分け入って「八畳岩」に到着。
小さな沢に、大きな岩が段を成している。
なぜ、この深山幽谷の場で十七日間護摩を焚かれたのかは不明だ。密教の法力と大自然の気を融合させて、法を修されたのだろうか。
1200年前に弘法大師が焚かれた護摩の修法に府座する気持ちで、勤行を上げた。
その後、四国遍路きっての難関ルートといわれる、藤井寺⇒焼山寺の山道を歩きはじめる。
次第に標高が高くなっていく。
上り坂が急なところで、ふと前を見ると、「一歩歩けば、一歩近づく」という標識が掲げてあった。山道で苦しいときほど、目の前に現れる標語を真剣に見るものだ。
「水大師」と名付けられた湧き水場があった。小休止して、合掌してから、いただくことにする。
うまい、と言う言葉では表せないほど、うまい。
近くできれいな声で、鳥がさえずっている。朝は鳥たちの歌声がさかんになる。
靴でアーシングが出来なくなったので、裸足になって直接大地に足を置く。
きもちいい。
もうこんなに登ってきた。
今まで歩いてきた道を眺めることができる。
途中、昨日の十楽寺の宿坊で、納め札を交換した男性と再会した。しばらく一緒に登ることにする。
なんと藤井寺から焼山寺までは平均で6時間かかるそうだ。今日の宿はそこから4キロほど山を下る場所にあるので、考えていたよりも早めに行かなければならない。
やがて、お遍路さんの間でも有名な、「へんろころがし」が現れた。
足を踏み外すと転がって落ちてゆくほどの難所、という意味。
ここに来る前は、冗談で自撮り棒でわざと転がっているところを撮ろうかと思っていたが、そんな甘い世界ではないと言うことを思い知らされた。
本当にバランスを崩すと転がって落ちてしまうような難所がいくつもあり、ところによっては、まさによじ登って行かなければならない。
山を一尾根越えたと思ったら、今度は急な下りに変わる。この繰り返しがかえって足を酷使して、体力を使う。
焼山寺まであとほぼ4キロ地点の浄蓮庵。
必死になって階段を上ってくる遍路たちを、大師像が温かいまなざしで迎えている。
途中、きれいな花の咲いている木の下で昼食をとる。非常食しか持っていなかったが、同行の男性が宿でもらったおにぎりを 1つ分けてくださり、携行の健康食品1パックと交換する。
食べていると、クロスカントリーのトレーニングのようないでたちで男性が走ってきた。しかし、よく見ると掛け軸を入れたケースなどを背中のリュックに指している。どうやらお遍路中のよう。
驚いたことに、ビーチサンダルよりも細い紐で出来ているサンダル状の履物を裸足で履いていた。
聞くと、山道は靴のほうがいいが、平地は慣れれば、これが1番良いとの事。
ただ、履きならすまでは、筋が痛くなったり、コツをつかむ必要があったそうだ。うまく歩くには、モデルのように足先に神経を集中しなければならないらしい。
それを聞いて、地下足袋でも時間をかけて履きならせば、使いこなせるかもしれないとも思った。しかし、当分は昨日買ったこの靴で歩くことにしよう。
昼食を切り上げて歩き出すと、またさらに道が下っていき、谷を見下ろす集落に出た。庭の手入れをしていた女性が、「もっと下ってから、最後にこの山を越えるんよ」と目の前に迫っている山を指さして言っていた。
ここからは悪戦苦闘の1時間。
一度、ほんとに谷底の沢まで下り、そこからこれでもか、というほどの登りが続いた。
結局、へんろころがしの場所は六ケ所あった。
頂上に近づくにつれ、夕日が指してきた。
●十二番札所 焼山寺に到着。
何とかよじ登って焼山寺にたどり着く。午後4時。
山頂の参道から、一時間前に通った集落が見えた。この谷を越えてきたのだ。
参拝後、同行していた男性はここの宿坊に泊まるそうだ。あとは1人、山道を下山する。
日が暮れるのが早いので、先をいそぐ。
下り坂では、右足の指が傷んでつま先から降りれなくなっている。右足は横に向けて降りるしかない。
途中、この変わった姿の花が所々に咲いていた。(花の名前はぜんぜんくわしくない)
沿道では、沢山の野生の花が気持ちを癒してくれる。
今日は、手にもマメができるほど、金剛杖を頼りに歩いた。
時間が遅いので、水分補給も荷物を背負ったままで済ます。
焼山寺から4キロほど、の鍋谷村に到着。宿の近くの風景。
宿の宿泊客は、自分を含めて4人。
初日からよく顔を合わす男性と一緒になった。歩き旅が好きで以前、熊野古道も区切り打ちで走破したらしい。あと2人は、何回も歩き遍路をされていて今回は逆打ち(八十八番から一番まで逆にまわること)で廻っている方と、千葉から自動車で廻っている方。
自動車の方は、東京港からフェリーに乗って来たそうだ。この方は、40年前にお父さんと一緒に歩き遍路をしたことがあり、今回は両親の供養を兼ねて廻るとの事だった。車の座席にはご両親が一緒に座って廻っているのかもしれない。
逆打ちの先達には、ゴールデンウィーク中は宿の予約を早めにしないと、泊まれなくなる事を教えてもらった。
寝る前に、宿の主人に家紋のことで興味深い面白いお話を聞いた。
この地域に30代ぐらい続いていた旧家があり、その家の家紋の形をしたアザが、代々家を継ぐ人に必ず生まれつき体についていたそうだ。代が続くごとにそのアザにつく場所がだんだん体の上から下のほうに移動していき、最後の当主は、同じ形のアザが足の裏についていて、その方は戦争に出征して亡くなり、結局その代で、絶家したそうだ。地元では有名な話だそうだ。本当にそんなことがあるんだ。
各部屋の壁は薄く、宿泊者全員のいびきが聞こえてきた。