(7番 十楽寺 → 11番 藤井寺)
今朝も日の出は見れず。
たなびく雲に光がだんだん当たっていくさまが美しい。
宿坊を出て、十楽寺をあらためて参拝した時、昨日夕食でご一緒した男性に、境内で一緒になった。
昨夜は話を聞いてもらってうれしかった、と言われた。こちらは聞いてばかりで、自分のことをまだ紹介していなかった、と思っていたが、逆に聞いてくれたことが嬉しかった、と少し涙ぐみながら言ってくれた。
お接待(お遍路さんに対して、無償の奉仕をする行為)を受けたと感じたので、と納め札をもらった。
こちらも、お話を聞かしてくれたお礼に納め札を送って交換した。歩き遍路同志で納め札の交換をするという、ちょっと変わった名刺交換のようになった。
(ちなみに「納め札」というのは、お寺に参拝した時に、お寺に自分の名前、住所、願い事などを書いておさめる短冊型の札のことです。)
7時50分に十楽寺を出発。
●今日はアーシング地下足袋で歩く。
アーシング地下足袋とは何か?
まずは「アーシング」を知らない方も多いと思う。
これは最近、実践する人が増えている健康法で、一言で言えば、
「大地と触れることで健康になる」という考え。
一番いい方法は、裸足になって、地面に直接触れること。そうすると、電気的にアースされて、体にたまった静電気を逃がしてくれて、同時に大地にあふれているマイナス電子を吸収することができる。
いろいろな病気の原因のもとと言われているフリーラジカル(活性酸素)などは、電気的にいうと、プラス電子の異常増殖だそうだ。この状態を改善するには、常に体が大地に触れている状態にする必要がある。
戦後あたりを境に、あらゆる靴の靴底や住宅建材が絶縁体で作られるようになり、道路も重油を原料としたアスファルトに覆われてしまった。
そのせいで我々は大地から切り離される生活を余儀なくさせられている。
この状況を変えるには意識して電気的に大地とつながっている状態を保つことが必要。そうすれば健康や心身の状態が飛躍的に改善されるらしい。
実際、以前からアーシングのグッズを購入して試しているが、非常に効果があった。
まず、大げさでなく一年の2~3割の日数は口内炎が出ていた体質だったのだが、めったなことでは発症しなくなった。
そして、睡眠が改善され、ベッドをアーシングする器具を使い始めた晩から、夢見がとてもよくなり、楽しい夢を見るようになった。
まあ、くわしくは、アーシングで検索すれば、情報が得られるので、みていただきたい。
じつは今回、自宅から履いてきたシューズに細工をして、裏に金属のネジを靴底に取り付けてコードで導電性の靴下につなげるという自作のアーシングシューズを作ってみた。
しかし、靴のサイズが合わなくて足を痛める、というお粗末なことになってしまった。
しかも、下手くそな日曜大工で作ったので、出発初日で、左の靴のコードが無残にも切れてしまったのだった。
この分だと、右側のコードもおそらくすぐに切れていたことだろう。
(出発前の状態↓靴下も銀繊維を織り込んである特別仕様)
そこで今日はアーシング地下足袋を履いて歩いてみることにする。
これは足袋底が導電性になっている地下足袋だ。
ただ、アスファルトの上は絶縁状態なので、まったく効果はない。
遍路道の8~9割は舗装路で、土の地面か、水分を含んだコンクリートを歩く時にしか、効果は得られない。それでも、一日に30~40分アーシング状態になれば、よいとされている。
また、地下足袋は舗装路用ではなく、長距離アスファルトを履くような設計にはなっていないから、歩き方にとても注意が要りそうだ。
足の様子を確認しながら、無理な力が入らないように入念に歩くと何とかいけるかもしれない。
実際歩いてみると、やはりスピードが落ちる。が、しばらく経っても足の指の痛みは全くない。
底が浅いので、地面の振動がじかに来て、あまり急ぐと足腰がきつくなりそうだ。まあ、とりあえず今日はこれで歩いてみよう。
そのうち、だんだんと山が近づいてきた。
●8番札所 熊谷寺に到着。
新緑の緑が映える、とてもすばらしいお寺だ。
熊谷寺の近くで、この看板を発見。
第九番法輪寺までの途中、田植えをしている田の側を通りかかった。
参拝後、さっそく納経所の女性に、こちらの状況を話して、尋ねてみた。もう引退されたが、前住職さんもこの丸十の由来について、長年研究しているらしい。
しかし、まだ真相はわかっていない、とのことだった。
ただ、薩摩藩の丸十とは違う、別系統の丸十ではないか、おっしゃっているそうだ。
残念ながら、この時はご不在で直接お話を伺うことはできなかったので、名刺代わりとして、納め札にこちらのくわしい住所をお渡しした。今日は納め札を名刺代わりによく使う。
長い間の家の謎だった、丸十の紋が実家と一番近い札所のお寺に見つかるとは、感慨深いものがあった。
もう一つ、何か不思議な縁を思わせることがあった。
法輪寺で参拝する際、手持ちのライターでろうそくに火をつけようとしたら、なぜか2日前に買った100円ライターの火がつかない。ガスはたくさんあるのだがなぜか故障してしまった。今まで100円ライターが使い始めてすぐに壊れたという体験はしたことがない。
実はこのお寺、長宗我部氏(長曽我部とも書く)による兵火で焼かれたことがある。
実は、母方の傍系に曽我部家という家系がある。
歴史に残る土佐国の武家 長宗我部氏との関係ははっきりわからないが、同じ「ソガベ」と言う名前を使っているからには、何かつながりはあっても不思議ではない。
そう考えると、滅多に壊れないライターがろうそくをつける際、壊れて火がつかなくなったと言う事は、何かを表しているのでは?と考えてしまった。
丸十の紋とともに、気になる出来事だった。
驚きを隠しつつ、十番 切幡寺へ向かう。
この切幡寺は前から気になっていた。
気になる理由は、この本にあった。
この本には、弘法大師と八十八ヶ所霊場と、日本の古代史とに関わる、ある研究が書かれていた。
徳島県の最高峰 剣山にまつわる伝説、諸説があるのは、ご存知の方も多いと思う。その中でも、古代ユダヤの秘宝「契約の箱」が、日本の、しかも、この剣山の山頂に運ばれて隠されている、という話は、有名な仮説として、多くの人が研究している。
なんと弘法大師が霊場となる足跡を残す際、そのことをご存知で、わざと、剣山に近寄らない場所に足跡を残し、十番 切幡寺の奥の院からだけ剣山を拝めるようにして、11番からは剣山から遠ざけるようにした、ということがこの本には書かれている。
なぜ、切幡寺がその場所になったのか、この切幡寺から先の吉野川上流が、じつは日本国の発祥の地であり、そのことを封印する必要があった、というのだ。
また、虚空蔵菩薩とは、「虚空」=高い空にある場所、「蔵」=しまい込む、という意味で、「契約の箱」のことを暗に示している尊号である、という主張もされていた。
そうなると、私の両親の実家は著者が言うところの、日本発祥の地にあたる、ということになり、えっまさか、と思っていた。
そして、いちど切幡寺にお参りできれば、この目で剣山を確かめてみたい、とも思っていた。
そんなことを思い出しつつ、地下足袋の足を気遣いながら、歩いていると、
向こうから、左手を横にまっすぐ伸ばしながら、おじさんが自転車に乗って、通り過ぎていった。
何だろうと考えると、遍路道はあっちに曲がるんだよ、ということをジェスチャーで教えてくれていたことに気がついた。
さりげないおじさんのやさしさが伝わってきた。
●十番札所 切幡寺に着く
切幡寺では300段以上の階段を上ってようやく本堂に到着する。今までの札所の中では最も高い場所にある寺だ。
寺の由緒書きを見ると、弘法大師がこの地に住む機織り娘に得度(お坊さんになること)を与えたことが寺の発祥ということだった。
得度した若い女性というと、二番からたびたび言葉を交わしていた尼僧さんが頭に浮かんだ。
もしかしてあの尼僧さんは、得度した機織り娘の化身だったのかも!
本堂で勤行した後、納経所で奥の院に参拝する許可をもらった。
ごろごろした本堂からすぐの山を登ると小さな堂があり、弘法大師が系譜につながる八大大師を祀っていた。堂の周りには、うっそうを木が生い茂っていて、眺望は聞かなかった。
ただ、そのすぐ下に建立された大塔があり、そこからは遠くまで見渡すことができた。
納経所の方にお聞きしても、どれが剣山がはわからない、とのことだったが、連なる山並みの一番奥に少しだけ、高い山が見える。
八大祖師堂はだれも来ない場所なので、お遍路中、初めて声を張り上げて勤行を行った。
小さな堂内に自分の声が響き渡る。
勤行中、剣山山系の山々と、その上に広がる澄んだ青空に、真言と読経が染み込んでいくようなイメージが浮かんで、気持ちよく勤行が出来た。
その空の下に暮らしていた父や先祖も、ここへきて一緒に勤行しているような気分にもなった。
切幡寺からの眺めについてのロマンと、法輪寺の紋の驚きとが相まって、印象深い参拝となった。
ところで、切幡寺にはなぜか、ものすごい勢いで鐘楼を打ちつけたり、外国の方が爆竹を鳴らしてお参りしたり、怒鳴り声のような大きな声で読経する人などがいた。なぜだろう。
300段以上ある階段を登りきった後のお詣りなので、体のスイッチが入って、皆、興奮するのかもしれない。
あるいはただの偶然か。
切幡寺から下りてくる時に、昨日出会った野宿グッズを背負った青年が上がってきた。
やけにゆっくりだね、と聞くと、膝が痛くなって、病院に行ってきたとのこと。
荷物が重いのが、原因だといわれたそうだ。切幡寺に上がるのは無理かもしれないと言われたそう。
次の焼山寺は「遍路転がし」と言われる難所なのだが、大丈夫だろうか?
先に十一番 藤井寺に参拝してから、ホテルに入ることに決める。いろいろ感動したことがあって忘れていたが、やはり地下足袋で舗装路を一日中歩いて、かなり足と足指にダメージが来てしまった。
合わなかった靴で痛めた指に加えて、今日まで無事だった指にも痛みが出ている。
藤井寺までの道がわかりにくく、寺の受付がしまる午後5時に間に合うか、微妙な時間になったので、急がねばならない。
そう時に限って、遍路道の表示がなくなり、道に迷いそうになる。
足を引きずりながら、なんとか藤井寺へ。
●11番札所 藤井寺に到着
本堂内の天井に描かれた龍の絵はすごかった。
今日のうちに参拝を済ませ、明日は藤井寺の奥にある、弘法大師が17日間護摩を修された「八畳岩」という天然の岩場を参拝して、焼山寺に登ることにする。
50分かけて、鴨嶋のホテルに到着。
足の痛みは限界だ。
履いてきた靴もだめ、アーシング地下足袋もだめ、となると、靴を買って履き替えるしかない。
自作のアーシングシューズを履くことをあきらめて、タクシーの運転手さんに場所を教えてもらって靴屋へ。
靴屋の店員さんに聞くと、たまに、遍路宿のご主人が時々遍路の人を連れてきて、靴を選ばせるのだそう。
事情をよく知っている店員さんのおすすめの靴の28センチがあったので試着してみると、良さそうだったので、購入。
新品の靴で最大の難所といわれる焼山寺へ行くことになってしまったが、傷だらけの足の状況を考えるとやむを得ない。
靴を買って帰ると、今まで何度も会った、二人歩き遍路旅の母娘の親子さんにロビーで会う。
二人で八十八ヶ所通しで回るという。
二日目にして、足がさんざんな状態になってしまった。この先、どうなるだろうか?