(1番霊山寺 → 7番十楽寺)
●大麻比古神社でお祓いを受ける
歩き遍路出発の日、大麻比古神社で、お祓いを受けた。
遍路の装束、持ち物すべて揃えて、6時50分に社務所に行くと、神職の方がご祈祷の装束で待ってくださっていた。
拝殿前へ、と促されてお祓いが始まる。
「掛けまくも畏き~」で始まる祓詞の後、低頭してお祓いを受けて終わり、というシンプルなものだった。
サッサッ、と大麻(おおぬさ:「大幣」とも書く)が振られる音が朝の静まった境内に響いたのが心地よかった。大麻の起源とゆかりの深い大麻比古神社でお祓いを受けることに、格別な意義を感じる。
ご祈祷料を問うと、いただいていません、とのこと。古来から続くお遍路さんへのサービスのようだ。
今日は曇り空で、日の出は拝めなかったが、お祓いの後、雲を通して、太陽の形がおぼろげに見えた。
●歩いて15分ほどで、一番札所 霊山寺へ。
2日前から、近くに滞在していたのだが、出発の日までは参拝するのを控えていた。
本堂に入ると、薄暗く厳粛な空気に包まれていた。
一番札所なので、気合いを入れてお参りしたいのだが、参拝の作法や買いそろえたグッズ(法具、その他諸々)の扱い方が、まだ身についていない。おっかなびっくりで参拝をした。
参拝勤行用に用意した勤行集をもとに、心得のある真言など自分なりに加えて、勤行をしてみる。あらかじめ作っていたわけではないので、そのまま感じるままにやってみようと思い、勤行をした。
お大師様に出発のご挨拶と行満達成を誓う気持ちで、心を込めた。
境内に鎮座されている、十三仏の諸尊にも出発のご挨拶と無事行満達成を祈った。聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音を観世音菩薩とまとめれば、八十八ヶ所霊場のほとんどのご本尊が十三仏にあたるので、四国中の霊場にまとめてご挨拶するように、真剣に祈った。
霊山寺が遍路の出発点となるので、参拝者も多い。
寺で働く方(奉仕の方?)も淡々とテキパキと動いていた。
はじめて納経所でご宝印を戴いた。
この「ご宝印」について説明しておこう。
遍路で巡拝する際、すべてのお寺で参拝の証にこの「ご宝印」(御朱印と同じ)をいただくのが、お遍路さんの習わしになっている。
ご宝印帳に書いていただく人もいれば、掛け軸や白衣を用意してそこに書いてもらう人もいる。
それと御影(みえい)という、そのお寺のご本尊様の御姿が描かれた小さなカードサイズの肖像画を一枚戴く。遍路が行満した後、この御影をまとめて一つの額縁にかざる人も多いようだ。
そして、このご宝印と御影をいただく場所を「納経所」と呼ぶ。
さあ、これから、遍路旅が始まる。
始めるにあたって、参拝の証拠写真撮影から始める。
今回、自撮り棒を始めて使用。
今までは、観光地や列車のホームで他人が使うのを冷ややかに眺めていたが、ブログの報告のためには、この流行りものの力を借りるしかない、と購入した。
何となく恥ずかしいので、なるべく人に見られないように撮ろうと思うが、次々と参拝の人が途切れず。
時間がないので、見られてもいいと、すばやくセッティングして決行。
始めて、ブログで顔を公開。カメラのレンズに視線を合わせるのが難しい。
左足はぎっくり腰の後遺症、右足はきゅうくつな靴のおかげで出来始めているマメの不安を抱えながらのスタートなる。
●7時50分霊山寺をスタート
次の極楽寺までは、しばらく街道を歩く。
平日の朝なので、交通量は多い。仕事へ急ぐ車などがけっこう飛ばしている。
●第二番 極楽寺へ
国宝の阿弥陀仏(弘法大師作)がご本尊のお寺。
街道に近い場所だが、山の寺らしい雰囲気が漂う。
急峻な階段を登って、勤行。重いリュックを背負ったままだと気持ちが入らないので、荷を降ろして置く場所を見つけるのに苦労した。
先に、本堂前の柱の向こうで読経する女性の声があった。見たら、昨日の宿に泊まっていた尼僧さんだった。
僧侶の黒い法衣をまとい、普通のお遍路さん仕様とは違う笠、スニーカーを履いて、小さいリュックを背負っておられた。
軽く挨拶をする。
どうも初めてみる顔では、ない。
ちょっと考えて思い出した。
この小僧さんは、今でも熱烈なファンの多い伝説の旅?番組『水曜どうでしょう』の四国お遍路の回で、何度となく登場していたのだ。
こんなところで会えるとは。
この番組、とてもくだらなくて面白い一方で、見るたびに「旅に出たい」と胸をあつくさせる番組だった。(「ベトナム、ホーチミン」と聞くだけで目頭が熱くなります。←わかる人にはわかります)
番組の録画DVDも販売されているほど人気がある。
しかし、これから遍路旅へ出る人が遍路の参考にしようと思ってこの番組を見ても、有用な情報は何一つ得られないだろうということだけはお断りしておこう。
遍路経験者が『水曜どうでしょう』を見たら、怒り出すかもしれない。
第三番金泉寺までは、旧街道を歩くルートになっている。
古くて落ち着いた雰囲気のある町並みの中を歩く。
途中の川では、流れのすぐそばに菜の花が群生していて、空につばめが飛び交っていた。
遠くの山並みが見渡せるのどかな風景が広がっている。
●第三番 金泉寺に到着
金泉寺で、先ほどの尼僧さんとまた同じタイミングで勤行することになった。聞いてみると、やはり歩き遍路で八十八番まで歩きで行くという。
荷物はできるだけ少なくしたとのこと。
自分もできるだけ少なくしたのに、こんなになったと、リュックを指して言ったら「野宿の用意ですか?」と聞かれてしまった。
アウトドア用品は持ってきていない。
ここで、道すがらの歩いている時にも、真言を唱えよう、と思い立った。
お大師様のご尊号、昔から唱えてきた凖胝(ジュンテイ)尊真言、崇敬してやまないある宗派を打ち立てた開祖に捧げる真言。この3つの真言を体に染み込ませたい。
ふと、気がそれることもあるかもしないが、道中真言を唱えて、遍路道にくまなく、参詣の思いを打ちつけていきたいと思う。
小さく見えるぐらいの前方に尼僧さんが、歩いている。
他にも何人か、歩いて行くうちに、マラソンレースの集団のように、同じペースのグループができるようだ。
●第三番奥の院 愛染院
細い山道をたどって、少し開けた空間に、第三番奥の院 愛染院があった。
祖師堂で勤行していると、突然、すぐ横で見事な法螺の音が鳴った。
年配の男性遍路の方が吹いていた。
そのすぐ脇の縁側には、今まで同じペースで歩いてきた人たちが、お茶をいただいている。
こちらのお寺で接待していただいているようだ。
自分も呼び止められていただく。楽しく談笑。
法螺を吹いていた男性が、ご宝印を書いていただいている掛け軸を途中で落とした、と困っていた。そういえば、それらしき長細い入れ物が、今来た道沿いに置いてあるのを見かけていた。
高齢の方なので戻るには大変ということで、私が代理で探しに走った。やはり、あった。
そのことをきっかけにお話しをしてみると、77歳になる愛媛の石鎚山修験行者の方で、喜寿を記念にお遍路を始めたとのこと。
荷物をキャリーバッグで運んでいたが、平地の舗装路はよくても、悪路は大変だろう、と思った。
人がいる時は、接待の気持ちに対して失礼な気がしたので、だれもいないにパチリ。
靴が窮屈で足が悲鳴をあげていると言ったら、草鞋に願掛けしたらいいよ、と言われた。
ここには草履に願をかけるお堂もあった。
●第四番 大日寺へ
第四番 大日寺は、弘法大師が大日如来を感得し、像を彫って奉安したお寺。少し山の中に入ったところにある。
例の尼僧さんが、宿のご厚意で宿泊客にくれたおにぎりで昼食をとっていた。
勤行後、納経所でご宝印を戴こうとお願いしたところ、係の方が開くと、なんと!
三番金泉寺の項が空白に、、、。
そういえば、忘れた。
うっかり、戴かずに来てしまった。
三番札所まで戻るしかない。
往復で十何キロあるだろうか?
納経所の方から、5番札所にお参りした後に3番に戻ったほうがいい、とアドバイスを受けた。
四番から三番、五番と行くよりも、四番から五番に行って、三番に往復したほうが距離が短くなる。
し、しかたない。
五番札所の後に、三番金泉寺まで引き返すことにする。
●五番札所 地蔵寺へ
五番札所の地蔵寺で事情を話すと、リュックを預かっていただけたので、身軽になってひたすら歩く。
往復で12キロぐらいになるだろうか。
1200キロ以上と言われる全行程から見ると、わずかな距離なのだが、足指の激痛と腰の不安の中、1メートルも余計に歩きたくない、という気持ちなのだ。
近道ルートも教えてもらい、なんとか三番金泉寺で歩く。やっとご宝印をいただく。
往復の労いに、納経所で一口チョコをいただいた。
昼食をとる店も見つからず、早歩きで来たので、おいしくいただいた。チョコには金泉寺の印が押してあった。
三番からの戻り道で見つけた床屋のポスター。
気を取り直して、
●第六番 安楽寺へ。
宿坊もあるお寺。
中国からのご一行が、お遍路姿で勤行を上げていた。
●七番札所 十楽寺に到着
五番から三番を往復に一時間半ぐらいかかっただろうか、その影響で宿坊の宿泊を予約していた十楽寺には、受付時間ぎりぎりに到着。なので、参拝は明日の朝にする。
夕食時、途中の道でも会った東京から来た男性と話す。
二十三番札所までの区切り打ち(区間を限った遍路旅)をしているそうだ。
その方は、激務の管理職で身体を壊し、後遺症のせいで仕事が思うとおりにできなくなったそうだ。その後、社内で憂き目に遭いながらも、家族のために必死に耐え、お子さんが独り立ちしたのを機会に早期退職したとのこと。
今でも足に残る後遺症に悩まされて、定期的に注射を打たなければならないらしい。
ご実家の檀家の副住職さんから、不幸せにとらわれる心が不幸を呼び起こす、教えられた言葉を胸に、懸命に前向きに生きていこうとされていた。
足のマメぐらいで大げさに痛がっている自分がはずかしくなった。
宿坊とはいえ、まるっきりホテルのような広い部屋で泊まる。
マメをつぶすため、宿坊のフロントで千枚通しを借りて、応急処置をした。
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