朝3時50分に宿を出る。
あたりはまだ、ほとんど真っ暗だ。
奥の院御廟へ向かう。
天気は薄曇り。
月が柔らかい輪郭を雲の中に浮かび上がらせている。
はじめは墓地の中を歩くのは少し怖く、車道を歩いていたが、やはり参道なので、墓地の間を歩いていくことにする。
参道の両脇には、常夜燈が並んでいる。
太陽と三日月の形をした小窓から放たれる灯りが、行く道を照らしてくれている。
やがて、少し白み始めてきた空に反応して、鳥がさえずり始めた。
御廟の手前の橋に到着する。
暗闇の向こうで、灯籠堂の一つ一つの灯りが、伽藍の軒下に連なっているのが見える。
そのおかげで御廟の前では、灯りに照らされてお参り出来るようだ。
灯籠堂に近づくと、扉は閉まっていで中には入れないが、廻廊伝いに奥の御廟の前まで行ける。
入口に塗香が置いてあり、手につけてから、奥へと進んだ。
時間は4時10分頃。
驚いたことに、すでに先に2人の女性が参拝に来ていた。どちらも剃髪している。僧侶だろうか?
かなり高齢だと思われる女性の方は、歩くのも大変そうな感じで、ロウソクを献灯しようとしている。
もうひとりの中年の女性は、あたりを掃除しているようだ。いつも来ているような慣れている感じだ。
お互いにあまり干渉し合わず、静かに礼拝する。
勤行を御廟の正面で行い、その後、毛氈の引いてある腰掛けに座り、目を閉じた。
今日は、気負った気持ちでなく、その場にしばらく身を置いて、自然な流れに身を任せようと思っていた。
高齢の女性は、いつの間にか参拝を終えていなくなっていた。
中年の女性は掃除を終えて、御廟の正面でお参りしている。
もう少し落ち着く場所に座るために、女性のお参りを邪魔しないよう、灯籠堂を左にぐるっと回り込んで正面向かって右側に移動する。
そして、半跏府座で落ち着く。
周りには、鳥の声が溢れてきた。
聞いたことのない鳴き声、一定の間隔で、ほー、ほー、ほー、と鳴いているのは、フクロウだろうか?
他にも特徴的な鳴き声が、二、三種類聞こえる。
どれも、どことなく夜活動する鳥、という印象の声だ。
同時に、いつも朝の山中などで聞く鳥の声も、遠くの方で鳴き始めた。
御廟の空気は、そんな鳥たちの声と、朝の冷気、全てを包み込み、一体となって調和しているようだった。
昨日、灯籠堂での朝の法要で感じた「霊気」のような迫力でなく、周りと完全に調和した、安らぎを与えてくれるような印象を感じる。
特に何に考えを凝らすこともなく、時間が過ぎていく。
だんだんと、手の先に朝の冷気が浸みてきて、冷んやりしてきた。
格別、何を発見するわけでもないが、安心して、いつまでもそこに座していられる感覚だ。
睡眠時間は少ないが、眠たい、という感じでもない。
安らぎの時、とでも言ったらいいだろうか。聖地の空気に溶け込みながら、まどろんでいた。
中年の女性は、いつの間にか、参拝を終えていなくなっていた。
時間が経つにつれて、今回、歩いたお遍路の道程を頭の中で辿り始めた。
歩いている最中は、通して思い出す、ということはなかったが、記憶を辿ると、その時の感情も思い起こされてきた。
1か月半で、ものの考え方にもずいぶん変化があったものだ、と自分でも感心した。
その後、いつもの3つの真言を唱えたりして、かれこれ一時間半近く座っていたようだ。
灯籠堂の中からも準備の物音がし始めた。
そろそろ立って、あらためて無魔行満の感謝のお参りをする。その後、聖域の境の橋まで戻る。
というわけで、最後の日の出時刻の写真は、日の出から1時間おくれての撮影となった。
今日は曇りだ。
ちょうど朝6時の朝の御膳が運ばれる時間が近づいていた。
せっかくなので、今日も立ち会うことにする。御膳の出発する地点で待つ。
すると、またまたまたまたまたまた、ぐらいだろうか、ポーランドの女性と、智積院の僧侶の男性が、ほぼ同時に現れた。
お互い、不思議な縁を感じて苦笑いする。
結局、ふたりとも名前を聞くこともなかった。
一緒に朝の法要に参加した後、いつかまた会おう、と別れる。2人は同じ宿だったようだ。
帰りの参道にあった、お大師様が腰かけたと伝えられている石。
宿に戻り、帰り支度を済ませて、出発。
バスで高野山駅に到着。
バスが高野山の街へ帰っていく。
この風景が、長かった旅から日常に戻っていく、切り替わりの場面のように見えた。
バスが去るのを見送って、一路、帰途につく。
帰りの道のりは、レポートの必要はないだろう。
新幹線の堅いシートに座りながら、腰の痛みを我慢しつつ、東京に向かった。
《最後に、皆様に御礼》
おかげさまで、4月17日から5月29日の42日間で、八十八ヶ所歩き遍路を終えることができました。
かなり寄り道をした割には、意外と早く廻れました。
いや、早く廻ってしまった、という感じです。
この際、もっとゆっくり、時間に囚われないで旅をしたらよかった、と終わった今、思います。
自分の行動パターンを打ち破るのは、本当に難しいことです。
途中、旅の先達に言われました。
また、一人旅でしたが、一人で廻るがゆえに、出会う人々とのやさしさに触れ、そして、遠いところから心配して、励ましてくれた方々に支えられて、旅を完結できました。
そして、このブログを読んでいただき、旅の経過を同時に見守ってくださった方々のおかげで、一人でいるようで、一人でない感覚で旅をすることができました。
今まで以上に、心配してくれる、気にかけてくれる人の存在ををあらためて実感できた旅でした。
応援いただいた皆さまに、心より感謝いたします。
ブログに載った写真は風景写真が多く、人との出会いの場面など、あまり撮ることができませんでした。
これは、私がシャイなのと、自然な交流を邪魔しないように、人に向けてあまり写真を撮らなかったからです。
ブログに載せるには物足りなかったと思いますが、そういう理由ですので、ご容赦ください。
これからも、お遍路さんたちを迎えてくれる、すばらしい四国の風土が、今のまま、未来も変わらずに保たれていくことを祈ります。
天と地に、感謝。 そして、『南無大師遍照金剛』
合掌