(88番大窪寺→高野山)
朝から雨だった。山なのでガスも出ている。
香川にいる間で、雨に降られるのは初めてだ。
宿の女将さんに、6キロ先の地元のバス停まで車で送ってもらう。
JR志度駅までバスで約1時間。乗客は誰も乗ってこなかった。
志度駅に降りると、またまたまたまた、いつものポーランドの女性と会う。
今日は一番霊山寺に電車で行くという。
その後の高野山の宿はもう予約してあるそうだ。高野山は高級な旅館のような宿坊ばかりで料金が高いというと、彼女が予約しているという安いゲストハウスの情報を教えてもらった。
しかし、メールで予約してみたが、満室だった。
志度駅から、特急列車で徳島駅へ向かう。
今までずっと、歩きの速度で景色を見ていただけに、列車の窓の景色は早く流れすぎて、もったいない気がした。
ポーランドの女性とは駅で別れる。
徳島駅も雨だ。
一か月半前に構内ではじめて遍路姿の人を見かけたことをなつかしく思う。
徳島港行きの市営バスに乗る。
八十八ケ所巡りが終って気が抜けてしまったのか、ここまでの写真をろくに撮っていなかったことに気がついた。
バスの中で、短い杖の、足早のフランスの若者に再会した。
彼の杖はさらに短くなっていて、なんと三分の一ぐらいになっていた。
道端にたくさん空いている側溝のふたの手を入れる部分の穴にはまって、先のほうを折ってしまったらしい。
でも、これならば飛行機でフランスへ持って帰れるだろう。
フェリー乗り場には、1か月前からたびたび会っている、デンマークの若い男性がいた。
もうオールキャスト登場だ。それも外国人だけの。もうだれが来ても驚かない。
天気が悪いので、甲板に出ても、両岸はみえなかった。
和歌山港についた。
和歌山港からは、都市近郊で走っているような普通の電車だった。
こちらは、すっかりお遍路装束だが、周りの人はあまりびっくりするような感じはない。
高野山に向かうお遍路さんをたびたび見ているのだろう。
今日は、バス、フェリー、電車合わせて計10回の乗り換えをして、やっと高野山に着く。
朝6時40分に出かけて、高野山に着くのは、午後5時だ。
しかし、徳島港のフェリーから高野山へは割引切符があって、2000円ちょうどしかかからない。
デンマークの2人とは繰り返し乗り換えがあるため、自然と一緒に行動するようになった。
やっと高野山方面に向かう電車に乗る。
途中、真田一族が住んでいた九度山を通過。六文銭の印があった。
どんどん山深くなっていく。
ここからは、ケーブルカーに乗り換える。
今さらながら思うが、お大師様は、どこへ行っても山がお好きだ。
ふと気づくと、フランスの若者がいない。
他のデンマークの2人も気がつかないうちにいなくなったという。
どこかで電車に乗り遅れてはぐれてしまったのだろう。無事に高野山に着くことを祈る。
彼はとても真面目な男だ。
最後にバス専用道路を走るバスで高野山の町に向かう。
●高野山の街並みが見えてきた。
高野山は、深い静かな森の中にある宗教都市だ。
町を囲むように杉の木立が密集している。
たくさんのお寺が立ち並び、街を歩くのは、ほとんどが外国人観光客。
平日だからだろうか。
四国の空気とどこかが違う。
街中にいても麓の街に行ってもどこかピリッとする空気が流れているようだ。
歩く人も少なく、街全体がひっそりと落ち着いている。
もっとも午後5時になると、だいだいの店が閉まるのが、ここの習慣だそうだ。
すでに店の多くが、シャッターが閉まってる。
今日の宿は高野山唯一のビジネスホテルと広告に書いてあった。
部屋はとても快適で、改装した立派な洋室のシングルルーム。
さすがは本州の宿だ?
奥の院で、毎日朝6時からお大師様への朝の御膳のお運びがあるらしい。
5時半ごろに宿を出れば、そこに立ち会うこともできる。
お参りが終わったら、また戻って宿の朝食をいただけるそうだ。
素泊まりなので数少ない定食屋を教えてもらい、徒歩で行く。
杉木立の向こうに供養塔やお墓並んでいるのが見える。
明日は、杉木立の中に入ってお参りすることにしよう。
午後6時を過ぎると肌寒くなってきた。
明日は早く出て、奥の院に向かう。