今日、星ヶ森で勤行をしている時、考えた。
それは、星ヶ森に向かう途中の霧にまつわることだ。
聖地で、聖なる空気に触れることはできる。
しかし、それで終わりならば、それだけのことでないか。
聖地をめぐるだけで、啓示のようなものが得られる、という考えでは、永遠に何もわからない、と思った。
さらに、腑に落ちるものを掴むためには、自分から何かを獲得したい、という意思がなければ、神仏はその先を見せてくれないのではないか。
霧の先を見ようとするには、自分が先に進まなければいけない。
仏教の例えで、「打てば響く」とよく言われるが、自分が具体的な願望を持って、どこまでも求めていかなければ、神も仏も答えようがないのだろう。
神秘的な体験だけでなく、日々の生活においても、これだ、と求め追い求めていかなければ、何も始まらないのだ。
何でも、うわべだけの良い関係をだけを築いても、結局は願望はかなえられない。
いつまでたっても何かを達成できない不満が残るだろう。
自分は本当に何を求めているのか、それが決まったらまず、それを力いっぱい追い求めてみることで、何かがゆっくりとでも動き始めると思う。
自分から、打って響かせるようにしなければならない。
星が森からの帰り道、そんな思いをさらに強くしながら歩いて行った。
山を歩いていると、考えることも本質的になるのだな、と思った。
昨日街中で歩きながら考えていたこととは、ずいぶん違うような気がする。