(36番 青龍寺 → 奥の院 不動堂)
東の空から、入江を照らす朝日が昇った。
7時10分出発。
宿のご主人に、昨日歩いた宇佐大橋まで車で送っていただく。
ご主人によると、この海は、「横浪三里」と言って、細長く12キロほど入江になっているとのこと。
昔は真珠の養殖、ハマチの養殖を手がけたが、他地との競争に負けて、今は鯛の養殖が盛んに行われているらしい。
漁師の人達は現在では海に出かけて魚を採るより、養殖の方を主な仕事にしているそうだ。
途中で降ろしてもらい、対岸にかかる宇佐大橋を渡る。海が朝日に照らされて輝いている中、船が行き交っている。
橋の上から見ると、海水がとてもきれいなのがわかる。
青龍寺までは1キロちょっとの山道を登る。
すべてのお寺に、「山号」と言う山の名前がついているように、八十八ヶ所でも、多くのお寺が、里より高い山の中か、高台に建てられている。
山と宗教は昔から深い関わりがあったのだろう。
峠を登ったら、広い外海が見えた。
ずれた靴下を直そうと思って、ふとズボンの足元を見たら、シャクトリムシが、ついていた。それもちょっと大きめの。
四国に来る前だったら、多分卒倒していたことだろう。(私は虫が苦手です)
しかし、自然の中で出会うと、それほどびっくりもしない。
歩きながら昨日の宿の夕食の風景をふと思い返した。
昨日、同泊した方たちもそうだったが、お遍路さん同士の夕食の話題は、ほとんど決まっている。
旅の行程についてのこと、どこの民宿は良かったか、足の痛みや明日のコースの難易度、などだ。
2周目以上の人も多くいらっしゃる。しかし、その先達も含めて、どこそこのお寺はこういうご本尊だった、ここの本堂は素晴らしいなど、お寺自体の内容が話題になることは、あまりない。
どうも遍路旅を、一種のトレッキングとして見ていたり、その土地の風景を眺めながらの徒歩旅行と見ている方が多いのだろうか。
しかし、どういう動機でお遍路を回るかは、その方の自由であるし、思い想いの理由があって当然だ。
遍路旅で出会う方々は、自分が引き寄せたご縁であるかもしれない。
自分なりの目的を持てば、その人なりのご縁をお大師様がコーディネイトしてくれるように思う。などと考えているうちに、目指すお寺が見えてきた。
●三十六番札所 青龍寺に到着
参道脇にお滝場があった。
ここは、空海が、唐の国で真言密教の奥義を伝法していただいた惠果阿闍梨を慕って建てたお寺。
惠果阿闍梨を奉るお堂もある。
寺の建立のもとになった故事の舞台である奥の院は、少し離れた場所にあるようだ。
今日の旅程の関係で行こうかどうか迷い、一度は遥拝所で済ませようと思ったが、どうしても気になり、向かうことにする。
空海が唐から帰国する際、有縁の地を求めるため、東の空に向かって投げた独鈷杵が、突き刺さっている地に寺を立てることを祈願したそうだ。
無事日本へ到着した後、この青龍寺の奥の院の場所に突き刺さっているのを感得し、それがもとでこの青龍寺を建立したとのこと。
●青龍寺奥の院 不動堂に到着
いくつかの奉納鳥居をくぐると、竹箒を持って掃除をしている数人がいた。
挨拶をして、靴を脱ぎ、裸足になってお参りをする。
珍しく、この奥の院の参道は靴を脱いで歩いてお参りすることが礼儀とされている。
勤行している間、横の方で女性が1人、箒で掃除をしていた。
少し話をすると、ここのお不動様が好きでよくお参りやお掃除を一緒にしているらしい。
一ヵ月前、二十一番太龍寺の舎心ヶ嶽にもお参りしたとのこと。
太龍寺には行かずに、舎心ヶ嶽だけお参りしたらしい。
自分と指向が似ている。空海の修行されたゆかりの地を訪ねていると言うと、その意味をよく理解してもらえた。
聞くと、独鈷杵が突き刺さったという古い松は最近まであったらしい。まさか、空海ご在世当時からの松ではないだろうが。
あそこにいる人が霊感を持っていて何でも教えてくれるよ、と言われたので、掃除をされている体つきのがっしりした男性に尋ねてみる。
清掃していた手を止めて、小走りにその松が入っていたと言われる場所へ連れていってくれた。
「どこからきたの?」としゃがれた声で聞かれた。そのしゃがれ方から行を積み重ねている感じを受けた。
「千葉からです」と答えると、「千葉に知り合いはおったかなぁ」と言いながら、携帯を取り出して見せてくれた。
そこには青龍寺の滝場で修行するその男性の動画が映っていた。
男親の代から続いていて、自分は27年前から青龍寺や奥の院で修行をしていると言う。
時々降りてくる啓示のようなものがあり、それを人に伝えていると言う。
そう簡単に自己紹介をしてくれたら、また足早に掃除している場所へ戻っていかれた。いかにも山で修行されている、とう感じの俊敏な動きだ。
日頃から鍛えているような感じだ。
そのすぐ後に、若い女性がその人を訪ねてきた。
少しの間話を聞いていて、すぐに瞑想のポーズをとったかと思うと、何か感じたものを伝えていた。
少し離れた所に虚空蔵菩薩を祀る祠があるのも教えてもらい、そこへも行ってみた。
またお掃除をしている男女がいた。どうもあの行者の方の信者?の方々らしい。
何かグループのような関係が形成されているのかもしれない。
祠でお参りを済ませると、お父さんと子供2人の家族連れも偶然お参りに来た。
そのすぐ後に行者の方と相談に来た女性が来て、来るなり行者の方が虚空蔵菩薩の前に座り、瞑想を始めた。
30秒ほどだっただろうか、その瞬間、周囲の空気は一変し、偶然居合わせた親子3人も神妙な面持ちでその空気の中にたたずんでいた。
何かインスピレーションを得たのか、また足早に去っていき、それを女性と、掃除をしていた2人が追っかけていった。
その一団は、そのまま、移動して、どこかへと消えていった。
どうも、この行者の方を目当てに、ここに相談に来る人がよくいるようだ。
その後、すぐ裏の、昔、国民宿舎だった場所が展望が開けていたので、行ってみた。
その駐車場に、どこかへ行ったと思った行者の方が何やら車の中を探っているのを、他のメンバーが眺めていた。
展望台を降りる時、法螺の音が少し聞こえた。おそらくあの行者さんが吹いているのだろう。
なかなか面白そうな方に出会うことができた。
普通、こういった行者の方は独特のおどろおどろしいとうか、クセがありそうなものだが、この方は不思議とそれを感じず、この奥の院に溶け込んでいるような雰囲気があった。
その方に会わなくても、奥の院の雰囲気は、聖地、という感じがしたが、その行者の方がこの場所の空気を体現しているような印象を受けた。
おそらく、お寺に所属している方ではなさそうだが。
すっかり奥の院で長居をしてしまった。
10時半になっていた。
ゴールデンウィーク中の宿の予約を先に決めていた関係で、少々急いでいた感があったのだが、こういうポイントになるお寺は、やはりじっくりと参拝するべきだ。
奥の院に来て良かったと思う。
戻りの宇佐大橋を渡っている時、反対方向からサイレンを鳴らした消防車から大橋を駆け上がって青龍寺方面へ走っていった。
消防車には、市のマークであろう、大きなドラゴンのマークが書いてあり、まるで龍が青龍寺を目がけて駆け上っているような印象受けた。
12時30分頃に、リュックを置かせてもらっていた宿に到着。
預かってもらったリュックを受け取って、安和の宿へ向かう。
ここから約23キロの道のりだ。午後からこの距離はかなりきつい。
昨日に続いて風はとても強い。
菅笠を飛ばされそうになりながら防波堤沿いに入江を歩く。
防波堤も右側にちょっとした隙間があり。そこで昼食をとる。
ちょうどいい感じで海に足を投げ出して座れる。あまりの気持ち良さに眠たくなってしまった。
しばらく歩き、横浪三里の入江に別れをつげ、山の方へ入っていく。
きれいな川で、親子がカニをとっていた。
あえぎながら坂道を登っていると、身体の前にかけているさんや袋の上にトンボが止まった。小さめの青白い色だった。
峠に近づいたころ、また左足のふくらはぎのあたりが強烈に痛くなり始めた。少しくせのようになってきたのかもしれない。足が痛いとなだらかな峠でもつらく感じる。
止まっていた風がまた吹き出してきた。峠に近づいてきた証拠だ。
だんだんと風向きや温度の変化で地形が読めるようになってきたのだろうか。
途中、仏坂不動尊に休憩を兼ねてお参り。
しばらく行くと川沿いに出る。
明日は子供の日だ。
セメント工場があった。四国へ来て工場に出くわすのは初めてかもしれない。
道幅が広くなってきた。
少し遅くなりそうなので、宿に電話をした。フロリダ2人組はもう着いているとのこと。
国道をまっすぐ来たほうが早く着くそうなので、そのコースに変更する。
あと1時間半はかかりそうだ。
歩道のないトンネルも通る。
安和の集落に到着。
この人の少なそうな場所に、ローソンが一軒ぽつんとある。お遍路にはありがたい。
犬の散歩をしていた人に、ここの地名の由来を聞いたが、あまりよく知らないと言うことだった。
「安房」の国がある千葉県民としては、「アワ」と聞くと気になるところだ。
宿に入ると、フロリダ2人組がいた。
また、二人と初日から時々同じ宿に泊まっている方が、夕食が終わって、談笑していた。
この方とは、前々日の雪蹊寺前の宿からご一緒していて、一緒に写真も撮ってもらったのだが、昨日のスマホのトラブルでその写真も今は取り出せなくなっしまっていた。
マイケルさんから、神社とお寺のバイブレーションの違いについて、聞かれた。
いろいろと自分なりの考えを身振りを交えて答えた。
マイケルさんは、神社は場所によってはいいが、ある場所では、ヘビーに感じる、ということを言っていた。
なかなかするどい感覚を持っていると思った。
こういう会話は、遍路宿の日本人同士ではあまりする機会はないかもしれない。
そういう意味では、自分なりのよいご縁を、お大師様がコーディネイトしていくれているのだろう。
明日の朝、日の出を見に行くと宿の女将さんに言ったら、ご自分も毎日、日の出の写真を撮っているとのこと。
しかし、主人にはその良さがわかってくれない、とおっしゃっていた。