(26番 金剛頂寺)
山の中なので諦めていたが、宿から少し歩いただけで日の出を拝むことができた。
朝食はまた同じ外国人メンバーと。
マイケルさんから「チコン」のことをおしえてもらった。
チコンの考えでは、頭上の経穴である「百会」から天の気が体に入り、足裏の経穴である「涌泉穴」から大地の気が入って、自分の体の中でそれらを接続し、パワーアップさせるそうだ。
何分、英語で聞いたので間違いはあるかもしれないが、天と人と大地の気をつなげることが大切だという事は確かだ。
マイケルさんは、にわか仕込みではなく、長年、本格的に東洋のいろいろな手法をトレーニングしてきた人だ。
そういう話で盛り上がり、つい朝食の時間をかけすぎて、遅くなってしまった。
フロリダ2人組とは今日の宿で再会することにして、別行動にする。
8時過ぎに部屋から出て長い廊下を移動していたら、宿坊のフロントから電話かかってきた。
てっきりもう出発したと思って、清算をしないまま出てしまったと勘違いしたらしい。
それがきっかけで、住職の奥様といろいろ話ができた。
実はそこで、おどろく事実を知った。
なんと、空海が(これから、弘法大師でなく「空海」または「お大師様」とお呼びすることにする)、求聞持法を修行されて成就し、明星が口の中に飛び込んだ、という修行完成の場所は、なんと昨日お参りした御厨人窟ではないそうだ。
ここ金剛頂寺が管理している、「不動岩」の「東の窟」が、まさにその場所ということだった。
なぜ、そのことがあまり知られずに、御厨人窟がその場所だ、と広まったかというと、事の始まりは司馬遼太郎氏の小説だそうだ。
司馬氏が著した「空海の風景」に、空海の求聞持法完成の場所が御厨人窟である、と紹介されたからだという。
当時は、具体的な調査もないまま、そう書かれたそうだ。
ちなみに、江戸時代にお遍路の様子を記した古い文書があり、その書物の中には御厨人窟の名前は全く出てこないらしい。
また、最近の地質学の調査の結果、御厨人窟のあたりは、空海が生きていた平安時代は、海面がすれすれまで来ていて、窟内に海水が入っていたかもしれず、修行できる場所ではなかったのではないか、といわれているらしい。
そして、決定的な事実は、御厨人窟の中からは、どう頑張っても、明け方の時刻に金星を見る事は不可能だそうだ。
一方、金剛頂寺の不動岩の東の窟は、これらの条件が全て整っている、という。
今朝、朝食の前に、護摩堂で住職様によるお勤めがあった。
その時の法話によると、この金剛頂寺は空海が長年暮らしながら修行を積まれた場所であり、唐へ留学する時もこの金剛頂寺の麓から出向して、帰ってくる時も同じ港に帰って来られた、ということだった。
そして有名な空海の「三教指帰」も、この寺内で記された、とのことだった。
ご法話の際、この寺の近くの洞窟で空海が求聞持法を修行されたとおっしゃっていたが、その時は、(空海さんはいろいろな場所で求聞持法を修行されていたんだなぁ)、ぐらいにしか思わなかった。(求聞持法を完成されたのは、御厨人窟だと言う先入観があったので)
不動岩の東の窟は、先ほど挙げた江戸時代の古文書にも出てくるし、昔から空海の修行された場所として、とても大事にされてきたそうだ。
高野山大学の先生も、東の窟に籠って求聞持法の修行をされているらしい。
ご住職も、世間に広まっている間違いを訂正して、本当の求聞持法完成の場所のことを広めようと、尽力されているそうだ。
だが、今朝のご法話だけでは、そこまでの理解が得られなかった。
実際、パンフレットも作成されているが、さらっと求聞持法修行の場と書かれているので、多くの人はその重要さには気づかないだろう。
ご住職の奥様は、この不動岩に行くことを強く勧めてくれた。
自分が、空海が修行されたゆかりの場所を廻りたいと思っていることなど、一言も言わなかったのに、だ。
マイケルさんと話し込んで出発が遅れたことと、清算のカン違いという条件が重なって、この話を聞ける機会ができた。
このお話を奥様から聞けたことに、大きなシンクロを感じた。
そして運よく、今日のルートは約20キロの平坦な道の移動だけで余裕がある。
●二十六番 金剛頂寺を参拝する。
そして、しばらく山道を降りる。
●東の窟のある不動庵に到着。
だれもいない。
ここはお遍路のルートからは外れているからだ。
比較的近年に建てられたような本堂にお参りする。
ご住職が東の窟の存在を広めようと、環境を整え、整備されているようだ。
空海修行の場、と案内の標識がある。
それに従って本堂裏を抜けて、海を見下ろす岩壁に出た。
その瞬間、
清々しい風が目の前を駆け抜けた。
広大な風景と波の音。
ここを訪れた瞬間、一瞬にして聖地、と感じることができる空気が流れている場所だ。
これはもう、ここを訪れることなしには、空海ゆかりの聖地巡拝は成り立たない、と感じた。
この岩壁沿いに、西の窟、東の洞窟がある。西の窟は修行中の生活の場だったそうだ。
岩壁から1つ突き出した形で、空海のご座石、と書いてある場所があった。
ここで21日間坐り続けた後、東の窟で求聞持法の仕上げを行われたらしい。
西の窟はすぐに見つかった。中に入り、ひざまずいて勤行をさせていただく。
一度出て、東の窟を探す。
岩壁沿いに遊歩道が設けられているが、探しても見当たらない。
岩場をつたって、下の波打ち際まで近づいてみる。そこから岩壁を見上げるとそれらしい岩の窪みがある。
ロッククライミングのようによじ登り、苦労してその窪みまで行ってみたが、そこは違ったようだ。
他に探したが、見当たらない。
岩場からご住職の奥様に電話をかけて、場所を聞くことにした。
西の窟のすぐ横に東の窟はあるとの事だった。聖地に来られた感激で見逃していたらしい。
もう一度西の洞窟まで戻り、改めて探すと、
西の窟の10メートルほど横に、東の洞窟が見つかった。
教えられた通り、祠があり、横に1人がきっちり座れるスペースがあった。
そこで半跏座を組み、瞑想をさせていただく。
すぐ下で波の砕ける音、時折、鳥がさえずり、見渡す限りの大海原。
頭上は頑丈な岩で囲まれ、おのずと集中できる環境になっているのに、改めて気がつく。
まさに自然が生んだ、最高の瞑想ポイントといえるのではないか。
瞑想の場所から眺めた景色。
及ばずながら、空海の孤高の頭脳の中に起こった大変革に思いを馳せながら、昨日と違って力むことなしに、自然に瞑想ができた。
本当に得難い経験だった。
本当の聖地というのは、感じようと努力しなくても、そこにいるだけでバイブレーションに胸を打たれるのか、と感じた。
空海に近づくなど、そんな大それたことなどできようもしないが、いつまでもここにいたいと思わせる、そんな空気がこの窟には充満していた。
この、空海と同じ場所で瞑想させていただけたことは、生涯の宝物になるだろう。
去り際に東の窟を下から一枚撮影。
感動的な体験をした。
その後、今日は約20キロ海沿いを移動する。
途中、吉良川と言う集落を通る。
蔵が連なり、古い良き街並みを作り出している。
「蔵空間」という、蔵を改装したお遍路宿もあった。
ゴールデンウィークの日曜日なので、車も多い、バイクも多い。向かいから来た2人乗りのバイクが手を振ってくれた。
100メートルほどの峠道があった。
今日はかなり暑くなっているようだ。もう夏の日差しになってきている。
腕も、かなり焼けて赤くなった。
また海岸に出た。
空海の修行されたという洞窟を塞ぐように庵が建っている。空海修行伝説はこの近辺の海岸沿いに数多くあるようだ。
土佐の川もきれいだ。
清流のまま、大海へ注いでいる。
4時半ごろ、左足が調子が悪くなり始めた。ちょっとツリ気味。
途中、個人商店にしては、おもしろいことが書いていった。
今日の宿は夕食と朝食が出ないので、コンビニに寄って食料を買い込み、宿へ到着。
5時を過ぎてしまった。