最近、2つのうち1つだけを選んだことはありますか?
そういう場面は、さまざまなタイミングでやってきます。
「今日の日替わりランチはハンバーグかエビフライ、どっちにしよう?」
ぐらいだったら、気楽なものですが、
「あの人とわたし、どっちを選ぶの!」
となると、かなり深刻です。(言われた経験がないのでくわしくは知りませんが)
ましてや、命にかかわったり、重大な用件で二者一択を迫られるのは、まさに究極の選択です。
そんな時にかぎって、その場ですぐ判断しなくてはならないケースも往々にしてあります。
特に最近の自然災害を考えると、とっさの判断が命を左右する、ということが、だれにも他人事でなくなった感があります。
追いつめられた時、あなたは冷静になれるでしょうか?
ラリー界のレジェンドは語った
ところで、あなたはカーラリーを見たことがありますか?
未舗装の曲がりくねったダートコース、時には砂漠、泥の中など、道なき道を空中を飛ぶように駆け抜けてタイムを競う、とても過酷なカーレースです。
そんなラリー界で有名な、篠塚健次郎さんという人をご存知でしょうか?
世界ラリー選手権、パリ・ダカールラリーなど最高峰のレースで、初めて優勝した日本人ドライバーです。
今でも世界中のラリーファンから「レジェンド」と呼ばれています。
「三菱パジェロ」という車も、篠塚さんがパリダカラリーで乗ったことで大人気になりました。
篠塚さんは現在、現役を引退して八ヶ岳でペンションをされているようです。
その篠塚健次郎さんが昔、語ったある言葉を、今でも鮮明に覚えています。
それは、華々しく活躍する篠塚さんを特集したテレビ番組でした。
放映されたのは、篠塚さんの全盛期の頃だったと思いますが、いつだったか覚えていません。もしかしたら30年ぐらい前かも。
番組の中で、インタビュアーが篠塚さんにこんな質問をしました。
「もし、すごいスピードで走っている最中、ラリーカーが故障して、ブレーキかハンドル、どちらかしか使えなくなったとしたら、どちらを選びますか?」
これはスゴイ質問。
そりゃー、どっちもダメでしょう。
でも選ぶしかないとすると、どちらを選ぶか?
車に乗る人も、免許を持っていない人も、考えることは同じだと思います。
だれでもブレーキを選ぶでしょう。
そんな状況で助かるためには、車をとめるしかないですから。
私もやっぱり、ブレーキだと思いました。
急ブレーキでもなんでも、ストップさせてクラッシュをまぬがれなければ、一巻の終わりでしょう。
さて、世界的ラリードライバーは、どう答えたか?
それはこうでした。(言葉は正確ではありません)
「どっちが壊れてもこまるけれど、、、どちらかを選ぶしかなければ、、ハンドルかな。」
えー、ハンドル! ブレーキよりも?
状況をだれよりもリアルに想像できる篠塚さんが、最後の手段として、ハンドルを選んだとは!
この答えが、あまりにもびっくりだったので、今でも覚えているわけです。
ハンドルを選んだ理由は、番組では聞けませんでした。
あなたはハンドルを手放してないか
世界のトップに立った人の言葉のマネをしても、その通りにいかない方が多いようです。
その言葉には〔だからナンバーワンになれた〕という但し書きが付くからでしょう。
でも、この「最後はハンドル」という考えには、だれにも当てはまる教訓が含まれているような気がします。
なので、ちょっと考えてみましょう。
なぜ、最後は「ハンドル」なのでしょうか?
おそらく篠塚さんの経験で考えると、ブレーキだけの方が助かる見込みは少ないのでしょう。
たしかに悪路で猛スピードの中、いきなりブレーキを踏んでも、スリップしてグルグル横転、もしくはどこかに激突、という結末しかないかもしれません。
ならば、スピードは落ちなくても、望みがありそうな方向にハンドルを切って、万が一でも活路をみつける、ということなのではないか、と考えます。
最後まで手放さないのはブレーキかハンドルか?
私たちの普段の生活ではどうでしょうか?
私たちは追いつめられると、「弱気」というブレーキを踏むことしか考えなくなりがちです。
「自分の意志」というハンドルを放棄して、何かに依存したり、だれかの言いなりになってしまうことも多いでしょう。
でも、それがいい結果につながらないのは、ラリーレースだけでないと思います。
たとえば、
身体についてはどうでしょう。
自分の身体について、ハンドルを握っていますか?
普段から自然治癒力を活発にしたり、身体の声を聞く習慣はもっているでしょうか。ちょっと体調がよくないと思っただけで病院へ直行してお医者さん任せ、対症療法の薬だけに頼りきっていませんか?
(もちろん薬は正しく処方されるはずです。しかしたとえば、精神科や心療内科で使用する薬の是非について、しばしば疑問視する声が上がるのも事実です。)
心がピンチになった時はどうでしょうか?
最初はだれかに頼って、励ましてもらいながら立ち直るかもしれません。一度はハンドルを手放して、楽になることは大切です。
しかし、それがいつまでも続くと、頼っている人のいいなり、顔色を伺うようになってしまいます。
そんな関係では、たとえ良心的なセラピストであっても、有害な存在になりかねません。
だれも自分一人だけでは生きられません。
かならず何かの形でだれかに助けてもらっています。同時にどんな人でも、何かの形でだれかの役に立っています。
そんな助け合う世界でも、自分のハンドルを握っている自覚があってはじめて、健全なギブアンドテイクが循環していくように思います。
そして、
やみくもに怖れるよりも、本当に必要なことを勇気をもって選ぶことで、はじめて開ける道もある、ということです。
究極に自分を救うのは「意志の力」であると、信じたいものですね。
遠い昔のテレビの記憶が頼りなので、出典もあやふやになってしまいました。
八ヶ岳のペンションに篠塚さんを訪ねて聞けば、今も「最後はハンドル」と言ってくれるでしょうか?
どなたか、もし行かれたらお聞きしてみてください。
あっ、でかける時はもちろん、安全運転で!
おわり