10月12日、台風19号が関東と東北地方に上陸し、各地で大変な被害を出しました。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
被災された方にお見舞い申し上げます。
皆さんの周りは、大丈夫だったでしょうか?
台風が上陸した日は、東京周辺ではほとんどの交通機関がストップし、デパートやスーパー、コンビニなども大半が閉店しました。
デパガが語る、あの日の「オーラ」
さて先日、台風が去った13日のことで、首都圏のあるデパートで販売員の仕事をしている女性から、興味深い話を聞きました。
その内容はこういうものでした。
『私が勤めるデパートも12日はお休みになり、13日の昼から営業を再開しました。
私は13日の午後3時から仕事に就きました。
その日、いつもの売り場に立った瞬間、
「あれ?」と思ったんです。
どこか、いつもと違った空気が漂っている、と感じました。
はじめはそれが何なのか、よくわかりませんでした。
うまく表現できないけど、確かに何かいつもと違う、という感じでした。
いつも同じ場所で仕事をしているので、理由はわからなくても、違いは伝わってきました。
その日は、来店されたお客様は多くありませんでした。
でも、不思議だったことがあります。
それは、デパートの通路を行き交う人の数が、とても多かったんです。
ただ、行き交う人を見ても、デパートの紙袋を持っている方はあまりいませんでした。
開店前からいた副店長に聞くと、開店前も、たくさんの人が入口で待って並んでいたそうです。
そんなこんなで、なんか雰囲気が違う?でも、気のせいかな、ぐらいに思いながら、仕事を終えました。
いつもの半分ぐらいの勤務時間でした。
ところが仕事が終わってみると、疲れがいつも以上にどっと押し寄せてきたんです。
「えっ?このけだるさは、いったい何?」
体調も普段通りだし、それほど忙しくもなかったし、思いあたることはありません。
あるとしたら、いつもと違う空気を感じていたことぐらいです。
そこで、よくよく思い返してみたら、行き交う人の雰囲気に圧倒されていた、ということに気がついたんです。
みなさんの顔つきは普通に見えましたが、平静を装っている裏にある不安感みたいなものが形を変えて、オーラみたいに発せられていたのかな、と思ってしまいました。
皆さん、ウィンドウショッピングであてもなく歩きながら、日常の感覚を確認して取り戻すために、一生懸命に落ち着こうと、あせっていたのかもしれませんね。』
そんな話をしてくれた女性は、ごく普通の店員さんです。特殊な感覚の持ち主、というわけではありません。
闇夜のランナーが続々と
このお話を聞いて、私も、そういえば、と思う光景を思い出しました。
それは同じ13日の夜、ルームを出て帰宅する道すがらのことです。
けっこう暗い、細い道を通るのですが、夜8時頃なのに、いつもよりランニングする人がやけに多いな、と感じたのです。
「また来た、、あれ、また、、」と、次々にすれ違いました。
それものんびりマイペースという感じでなく、ほとんどの人が一生懸命走っている、という印象でした。
走っている人の表情まではあまり見ませんでしたが、そういえば、どことなく真剣で、思いつめたような雰囲気が伝わってくるランナーが多かったかも、、。
これは、たんなる偶然かもしれません。
しかし、このデパートの話を聞いて、あのランナーたちも「いつもと違うオーラ」を発していたのかもしれない、となぜか合点がいったわけです。
「オーラ発生説」?
もし、この「オーラ発生説」が本当だとしたら、これはどういうことなのでしょうか?
考えるに、
台風上陸の数日前から「未曽有の大災害の可能性」「命を守る行動を」と、メディアからずっと聴かされていました。
そのため、実際に被災しなくても、心の中は緊張感と危機感でいっぱいでした。
その不安を振り払って落ち着きを取り戻すために、なにか平和な日常生活を象徴するような行為が必要だったのではないでしょうか?
おそらく、それは無意識の行動だったのでしょう。
デパートを歩いていた人や、走っていたランナーに、理由を聞いたら、たぶん「買い物の用事があった」とか「体がなまったから」とか、常識的な返事が返ってくると思うのです。
表面意識では気づかなくても、無意識に心の平穏を渇望していたんでしょうね。
これは、心のリカバリー本能といえそうです。
ウィンドウショッピングやランニングをしながら、不安オーラを発散しつつ、安心オーラ(?)を取り込んでいたのではないか、というワケです。
仮説ではありますが、、。
「おかげさま」を思い出すとき、、
私たちは、日常が脅かされると必死でしがみつこうとしますが、何ごとも起こらなければ、あたりまえに享受しています。
便利な世の中に慣れると、その傾向はいっそう強まりつつあります。
でも、最近の気候変動のせいで、その便利さの基盤はじつはとても脆いことに、気づき始めています。
一本の送電線が切れただけで、何万戸の生活が、一瞬にして、ロウソク一本で過ごす状態に陥ってしまいます。
今一度、私たちは自然の営みの中で生かされていることを、あらためて認識すべき時なのかもしれません。
あたりまえの日常を、当たり前に過ごせることは、あたりまえではなかったんだ、ということですね。
おわり