(別格霊場20番奥の院 慈眼寺)
上勝町はかなりの山の中なので、日の出の時間になっても太陽はまだ出ていなかった。
7時05分の出発の頃はきれいな朝日が。
宿を出発。町営バスで昨日歩いたバス停の所まで戻る。
バス停前の温度は12度。山の中なので夜も結構冷えた。野宿をしていたら、とんでもなく寒かっただろう。
今日は、別格霊場の慈眼寺にお参りに行く予定。
ここには、「穴禅定」と言う場所がある。
また、弘法大師が御歳19歳の頃に、霊示を受けて発見された鍾乳洞がある。
そこで弘法大師がお護摩を焚いて修行されたと聞く。
近くにある灌頂の滝は、落差が70メートルの巨大な滝で有名だが、ずっと雨が雨降っていないのでほとんど水がないという。
バスを降りて、慈眼寺に向かって歩きはじめる。これで、歩きのルートは途切れずにつながることになる。
途中、坂本の里を抜ける。
古くて、いい雰囲気の家が多いのだが、廃屋になっている家がかなり多い。とてももったいないことだ。
目指す慈眼寺の方向に飛行機雲が伸びていた。
一泊1,500円でシェアハウス体験をする家を見つけた。勝浦町が里の暮らしの体験施設として運営しているようだ。
ここでも色々と人を呼び込む取り組みがされている。
別格霊場に行くお遍路さんはとても少ないようで、遍路道でもさすがに誰にも会わない。
車も通らない道なので、地元の人にも全く会わない。
並行して流れる沢の音を聞きながら登っていくと、やがて慈眼寺に到着した。
●別格霊場 慈眼寺に到着
入った所が本堂かと思いきや、正面に大師堂があり、その横で穴禅定と本堂への参拝の受付をしていた。穴禅定は修行場として知られている。
入る際に誓約書を書かされて、入場料3,000円を払った。
荷物は一切持ち込めないそうだ。
岩の細いところに入れるか、体の幅をチェックするため、計測用の石の板の中に入らないといけない。
予備知識なしで来てみたのだが、いったいどんな所なのだろうか。
受付から山道を500メートルほど上ると本堂がある。
本堂の近くに穴禅定の入り口があり、案内ガイドの人と一緒でないと入れてくれないので、先のグループが戻ってくるまで約1時間本堂の前で待つ。
やがて、20人ぐらいの年配中心のグループが、やけに興奮して上から戻ってきた。
そのグループの最後に、地元のおばちゃんが歩いてきた。この人がガイドらしい。
今日はガイドが1人しかおらず、折り返しで、またすぐに案内をしてもらうことになった。
おけさも数珠も外したほうがいいと言われた。えっ、中でのお参りはどうするの?と思いながらも置いていった。
おばちゃんの後について、入っていく。
「どこから来たん?千葉、遠くから来よるんね。」などと普通に会話していたのだが、案内ポイントに来ると、突然バスガイド調のしゃべり方で説明が始まった。
その説明によると、下の写真のくぼんだスペースで弘法大師が護摩修行をされている時、大龍が現れて、それを法力で鍾乳洞に中に封じ込めたのだそう。
その鍾乳洞の中に入ってお参りするのが、穴禅定、という修行だ。
ろうそくを持たされて、真っ暗な鍾乳洞、それもかなり小さな穴の中へ入っていく。
この写真などは、まだまだ序の口。
なぜ袈裟を外して、荷物を一切持てないのかという理由と、誓約書を書かされた意味が、中に入っていってよくわかった。
鍾乳洞が体の幅しかないどころか、おばちゃんの「はい、右手でここつかんで、右足を先に入れて、ここからしゃがんで、顔を横向きにして、」という指示通りに全身を動かさなければ通れない。
これはすごい。
ポケットに入れたスマホが、壊れないかとヒヤヒヤする。
壁に体をこすりつけなければ、通れない所もある。
頭をぶつけ、壁のざらざらした面に体を引っ掻きながら、少しずつ進んでいく。手にしたろうそくの火だけが唯一の灯りだ。このろうそくを持ちながら、穴の形に合わせて体をタコのようにグニャグニャ曲げながら、なんとか中間あたりの地点までたどり着く。
ここに弘法大師に閉じ込められた龍の姿があるとのこと。
確かに鍾乳石の形が、龍の爪、体、しっぽなどの形をしていた。
さらに体を縮こませながら、這いつくばって、時には体を回転させながら、鍾乳洞の中を切り抜けていくと、鍾乳洞の最終到達地点に着いた。
天然の祭壇のようになっている場所があって、ここにお大師様がお祀りしてある。
ちょっと黒くなっている部分は、一枚岩状態になっていて後ろが空間になっており、祭壇の幕のようになっている。自然の造形だ。
この場所にはもともとたくさんの水が流れており、弘法大師がここで水行をされていた。
ここで般若心経一巻を唱える。
戻り道は少し違うルートを通る。生まれる時の産道を意味する穴を通った。
やっと外に出られた。所要時間は25分だった。
先ほどの年配グループは、1時間15分かかったそうだ。あれだけの人数だと、後ろの人は穴の抜け方を伝言ゲームで教わるしかないだろう。
19歳にして、この鍾乳洞を霊感によって発見し、龍(悪霊の類いの意味だろうか?)を封じ込めたとは、やはり弘法大師は尋常ならざる力を持つ方だったのだろう。
無事、穴の中から生還した。
ほっとした後、境内で軽い昼食をとった。
その後、お寺の方に、灌頂の滝での滝行の許可をいただいた。自己責任ならばOK、とのことだった。
●灌頂の滝へ
慈眼寺から2キロほどで灌頂の滝に着く。
見上げると巨大な岩の壁が現れた。首をが痛くなるほど見上げるスケールだ。
この広い空間の中、他には誰もいない。
急な階段を上り不動明王の祠にお参りをした後、滝壺へと続く道の結界のしめ縄のそばで着替える。
たしかに、水はとても少ないが、滝つぼには落ちてきている。
70メートル上から落下するので、水が落ちる地点は広範囲に及ぶ。
角の尖った岩がゴロゴロしている中を恐る恐る歩く。裸足ではとても無理だ。
アーシング地下足袋がこの時役に立った。ちなみに、滝行は最高のアーシングだと言われている。
九字を切り、滝壺に入る。
70メートルから落ちてくる水の刺激は強く、肌に当たるととても痛い。
水の温度もとても冷たく感じる。
水がとても少ない時期とは言え、勢いに圧倒される感じだ。
滝壺から前方を見渡すと、広大な緑の谷底が広がっている。
弘法大師もこの同じ風景を見ながら行をされたのだと思うと、はるか千数百年の昔に、心が飛んでいくようだ。
時折、上空の風の向きに沿って、水の動きが左右に振れる。
滝行をしていると、歩いたり眺めるよりも深く、その土地の自然と深く触れ合えるように思う。
大事なものをさんや袋にまとめて入れて、滝壺から15メートルほどの岩陰に隠しておいたのだが、そこにも水がかかり、すっかりずぶ濡れになってしまった。
関西の男性の滝行衣は上半身裸スタイルの人が多いように思う。
滝行を終えて、お遍路姿に戻る。すっきり。
滝を後にして、来た道をまた戻り、今日の宿へ直行する。
夕暮れの時間、薄暗くなりつつあつ遍路道。
紫の藤の花びらが落ち葉に混じって、山道に敷き詰められている。例年よりも散るのが早かったようだ。
午後6時すぎに宿に到着。またおそくなってしまった。
宿には、徳島のご夫婦とアメリカ人の年配の男性二人。
軽く挨拶するだけにとどまった。
丸一日かけての別格霊場めぐりだった。
別格や番外霊場には、弘法大師ご在世当時の雰囲気や霊気を感じられる場所が多くある。
明日は、札所めぐりルートに戻り、阿波の国最後の山岳地帯を歩く。