突然ですが、
あなたは今、
自分自身を生きている
と言えますか?
そんな
雲をつかむような問いに
ハッとしたならば、
すこし自分を振り返ってみる
価値があるかもしれませんね。
もし、胸をはって
「私は私自身を生きている!」
とは言い切れないとしたら、
もしかすると、あなたは
「らしく」生きようとしている
のかもしれません。
男らしく、
女らしく、
良い親らしく、
お似合いの
パートナーらしく、
デキる社員らしく、
善良な人らしく、
「~らしくありたい」
という想いは、
だれでも多少なりとも
持っているのものです。
ただ、
「らしく」あろうと
考えれば考えるほど
うまくいかなくなる、
そんな経験はないでしょうか?
あるいは、
「らしく」なろうと
がんばってきたけれど、
もうヘトヘト。
なんだか疲れてしまった。
そんな感じになったことは
ないでしょうか?
「らしさ」ばかりに
とらわれすぎると、
かえって苦しみを
生んでしまうことも
あるのです。
なぜかというと、
「らしさ」というのは
実体のない幻だからです。
言ってしまえば、それは
だれにとっても都合の良い
平均値のアバターです。
そんな「らしさ」の幻想に
生身の自分を無理やり合わせようとして、
心がマイってしまうのです。
もし、そんな状態に
なっていると気づいたら、
「らしさ」から
一度離れてみてください。
追い求めてきた「らしさ」を
遠くから眺めてみて、
「これって、本当に必要なの?」と
考えなおしてみてほしいのです。
そして、自分が
心から望んでいるものは何なのか、
どこへ向かいたいのか、
ゆっくりと深呼吸をして
胸のあたりに問いかけてみてください。
ただ、そう書くと
「意識高い系らしく」生きている人は
”私は「自分らしさ」を大切にしています”
と言われるかもしれません。
それも良い考え方だと思います。
でも、
その「自分らしさ」の中身について
どこまでわかっているでしょうか?
「自分らしさ」に
こだわっているうちは、
じつは自分らしく生きている、
とは言えないかもしれません。
本当に自分自身を
生きている時とは、
チョウチョを夢中になって
追いかけていた子供の頃のように、
自分の内面でなく、
外の世界に関心を向けながら、
我を忘れている時だと思うのです。
そんなフロー状態(没頭している状態)
になってはじめて、
本当の「自分らしさ」が
現れてくるような気がします。
そんな自分になるための
はじめの一歩が、
「らしさ」の呪縛に気づくことから
始まるのかもしれませんね。
これを読んで
「私はどんな”らしさ”に
囚われてたんだろう?」と感じたら、
心の専属トレーナーといっしょに、
心の中を見つめ直してみませんか?